『本は読めないものだから心配するな』菅啓次郎

いわゆる「本好き」向け書籍

本好きの間では有名らしくて読んでみた。

本フェチの私としては、紙質が柔らかくてページを捲るのが気持ちいいのが最も印象的だった。

内容は随筆っぽい感じなのか、でも詩的な文章で読み手の経験と反応してイメージを想起させるもののように思う。

なるほど本好きはこういう本を好むのかというのが正直な感想。

こういう本を好んで読むような人が、読書家と呼ばれる人なのだとしたら、私は読書家というよりはただ本を消費しているだけの浪費家だ。

私にはまだ、この本のような文学的な雰囲気の良さがよくわからないのだった。

元々理系の世界が長かったからなのか、ぼんやり想像させる系の文章がまだ馴染んでいないような感覚。

そして本書の文章はやや冗長だと感じた。表現がきれいだなあと感じた。

「本は読めないもの」とは

本のタイトル『本は読めないものだから心配するな』を文字通りに受け取るとすれば、私が感じた文章への理解困難な感覚は、著者視点では「そういうもの」だから心配するなよ、ということなのだと思う。

先程私は理系だから文学的な機微が理解しにくいなどと言い訳めいたことを書いたが、実はそうではなくてただ単に本というのは理解そのものが難しい、ということなのだろう。

本を読んで「わかった」「読めた」という感覚は人それぞれであるとは思う。

しかし一定のレベルでの読者間での共通認識は形作られるものだ。

私はそういったものが自分だけの読解力で到達できるのなら、その本はわかったと言っていいのではないかと思う。

それなのに自分はその一定レベルまでの理解に到達できない。

自己流「わかる」でいい

ここで再びタイトルに戻ると、そもそもほとんどの人が本を読んで「わかる」という状態に到達しているのだろうか?

一番初めに「この本は〇〇だ」と発信したり、あるいは著名な人物が評価した内容に引きずられているだけなのではないか?

他人の頭の中がどうなって結論を導いているのかは確かめようがなく、おそらく本人もどのようなプロセスで考えたのかもわからないのだろう。

だがかなり長い時間を本を読むことに費やし、それを自分なりに咀嚼して吸収し、自分の生き方に取り入れるかどうかの取捨選択を繰り返してきた中でいえば、他者の考えを取り入れるにしても結局自分が飲み込めたことそのものが重要になってくるのだと思う。

他人の感想や考えを取り入れようと入れまいと、それら全部を包含した上での自分なりの結論が持てればいいのだろうと思うことにした。

ここに至り、『本は読めないものだから心配するな』の意味が、一周回ってまた別のニュアンスを放つように感じるのは私だけでなはいはずだ。

やはり読書は面白い。

そして「こう読むべき」「この解釈が正解」という評価自体、個人的に人格を磨くための読書には無用のものなのだと言えるのだ。

私のごく個人的な結論

これも私の個人的な解釈にすぎないが、もしかしたら著者は、自分なりの読み方でいいのだということを言っているのかもしれない。

正解がない世界で、正解のある問題ばかり解かされる教育機関に10年以上所属し、自分なりの考えを持つことを自ら禁止している人々への遠回しな自由獲得のメッセージだったのだ。

私はそのように受け取り、自分なりの結論とした。

死ぬまで本を読みたい!『100歳まで読書』轡田隆史

本好きに刺さるタイトル

『100歳まで読書』というタイトルを書店で見つけて、ついつい手に取ってしまった本書。

タイトルの付け方が読書好きに刺さる。さすがだと思った。

三笠書房より2019年11月に刊行。

著者は朝日新聞の社会部デスク、編集委員を経て論説委員、編集顧問を勤めた後に退社、ニュース番組のコメンテーターや大学での非常勤講師なども務めた人物。

つまり超頭いい人だという先入観が入ってしまった。

そんな印象で本書を読み始めた。

だが、この先入観はいい意味で裏切られることになった。

本文を読み進めると、著者は自分のことを「酔眼耄碌爺」と自称し、読書も大変だ…という気持ちを所々で表明しているのである。

ああ、わかるわかる。集中力持たないのよね…(私は30代だが…)と共感しっぱなし。

本は楽しく読むべし

本書を書いた時点で既に80歳を越えている著者だが、その年齢ではさすがに従来のような体力的にキツい読書は難しくなる。

体力的にキツい読書とは、分厚い専門書を最初から読んだり、全く知らない分野の本を通読するなど、かなり読み通すのに気合いを要する読書のこと。

高齢となっても読書がしたいという思いが強い著者が、その豊富な経験から負担を少なく、かつ豊かな本の世界に浸れる読書方法を提案しているのが、本書を貫くテーマだと思う。

具体的にどうするのかというと、やっていることは「拾い読み」だ。

「拾い読み」から広がる思考のネットワーク

著者のような大量の読書経験が蓄積されている人物は、ちょっと拾い読みした文章から、その文章の生まれた謂れや著者のエピソード、影響を受けた原典などに言及し、話題が無限に広がっていくような印象を受ける。

私もこんなふうに年齢を重ねていきたいものだと思う。

さらに著者は辞書を拾い読みしたりする。

著者くらいの人物になると辞書をも読書の対象にするという。

たしか三島由紀夫も幼少期に辞書だか百科事典を「あ」の項目から順番に読み込んでいったというエピソードがあったように思う。

やはり著名な文筆家ともなれば、辞書は必須の読書対象なのだろうか。

辞書を読むことで語彙が広がる。

その経験が新しい知識の獲得という快感につながるのなら、もしかしたら辞書を読むことも楽しい読書体験となるのかもしれない。

この本を読み続ける中、無性に国語辞典を、それも「大辞典」と名を冠するくらいの分厚いやつを読んでみたいと思うようになってしまった。

いつの間にか心に染み込んでいる言葉

文章を扱うプロの書く文章は、なぜもこう心にスッと影響を差し込んでくるのか。

その影響力を認識する前にAmazonで注文している自分に愕然とした。

本書では色々なエピソードに絡めて、これは読むべし!という本が紹介されている。

書評を集めた本、という言い方もできるかもしれない。

そんな本書で紹介される中で即買いしてしまったのが、丸谷才一『思考のレッスン』、同『文章読本』の2冊。

他に橋本治『これで古典がよくわかる』を衝動買いしそうになったが、過去に買って読もうとして挫折、ブックオフに放流してしまった経緯があるため、上記2冊を読み終わってからにしようと踏みとどまった。

そのくらいこの本の威力は凄まじい。

ここ数年は読書をする時間が取れず、本を買っては売ることを繰り返していたせいか、読書への欲求が猛烈に高まっていたのかもしれない。

一流の「読書家」たるには

この本で紹介されている本は、「自分も読まねば!これが未読で読書好きを語れぬ!」的な気持ちになってしまうのだ。

それは著者の経歴を知ってから読んだせいなのか、著者の書く文章が心に響くからなのか、あるいは両方か。

私自身も100歳まで読書をしていたい、そして著者のような豊かな本同士の影響やつながりを発見して楽しみたいと思う。

そのためにはまず、本書で触れている本たちを読み込んで、自分の思考ネットワークに組み込むことだ。

本書を読みながら2冊を読み終わったら、早速国語辞典を読んでみることにしよう。

文章の書き方や形のお手本にしたい一冊

本書は書評集とも言える、章ごとに話が完結する短編集のように読むことができる形だ。

私もブログを書くにあたりお手本にしたいと思うような本でもある。

本の形や参考にしたい欲求などが混ざり合うことによって、この本を面白く読めたのだろうと思うが、仮にこのような気持ちがなくても本書を著者のいう「拾い読み」をしてみれば、きっと興味を惹かれてじっくり読みたくなはずだ。

拾い読みを提案するくらいの著者だから、拾い読みされて欲しくなってしまうような仕掛けがないわけがなかったのだ。

私はまんまとその策にハマり、おまけに紹介されている本まで買ってしまった。

完全にしてやられた。

それくらい面白い、知的興奮を掻き立てる一冊。それが『100歳まで読書』なのだった。

 

100歳まで読書

轡田 隆史 三笠書房 2019年11月08日頃
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私の読書法 大内兵衛 茅誠司 他

私の読書法 (岩波新書 青版 397)
岩波新書(青版)397
1960年10月20日 第一刷発行
2016年10月20日 第46刷発行

著者 大内 兵衛 茅 誠司 他
発行者 岡本 厚
発行所 株式会社 岩波文庫
ISBN 4-00-415088-4

”一流人”たちの読書の流儀

この本は1960年時点での”社会科学者、自然科学者、作家など、広く現代の知識人に、その個性豊かな「読書法」を語って”頂いたものをまとめた本とのこと。

個性的(個人的とも言えそう)な読書法をコラムのような形で交代交代連載し、それを1冊の本にしたものが本書となります。

今や個人が好き勝手に読書論的なものを世界に向けて語れる状態にありますが、そういった現在の視点から対比して本書の存在を眺めてみると、時代の変化や一流と言われる人の読書へのこだわり、文章表現の妙などを感じられる本です。

今更読書論かよ?と思う方も多いかもしれませんが、かつて言論の発信へのハードルが高かった頃の文章表現や読書論と呼ぶべきものを知るには大変に有用な一冊でしょう。

そして自己流の読書法でこれまで生きてきた自称読書家の人々にとっても、この本との出会いがもしかしたら新しいご自身の読書スタイルの確立に寄与することもあるかもしれません。

 

一流人の読書法とは?巨人の肩に乗る方法を知る

この本を購入して読みたいと思ったのは、すでに一流と言われ、「知の巨人」へと自身が到達した人たちが、どのように更なる先輩巨人の肩に乗って知識を得、血肉としたのかを知りたいと思ったためです。

かの有名なニュートンが、先人たちの積み上げた実績を踏まえて更なる先に進むことを「巨人の肩に乗る」と表現したように、この本はかつて何者でもなかった時代に巨人の肩に乗り、そして一流となった人たちのノウハウが満載なはずです。

実際に一流の知識人と言われ、岩波文庫から「読書法」を発行するにたる人物と表されるほどになっているわけで、その人たちの知の源泉たる読書法を知ることで、まだ何者でもない私たちでも「巨人の肩に乗る」ことができるのではないかと思うわけです。

また、読書家であると自負していることもあり、さまざまな「読書法」「読書論」とも言うべきものを知り、自分の人生の糧を得る上での参考にしたいとも考えての購入でした。

そしてその期待はある意味で満たされ、またある意味では裏切られたというのが、本書を通読しての正直な印象でした。

 

『「私の」読書法』のタイトルの妙

そんなわけで読み始めた『私の読書法』ですが、なんだか偉い先生だか実績のある知識人という、すごそうな人が語る読書法なわけです。

そこに権威性を否が応にも感じ、なんだかすごいことを語っているに違いない、そういうフィルターを自分にも感じていました。

そしてその権威性を裏付けるような内容、例えば杉浦明平氏の「一月・一万ページ」を自らに課している、そして読む本が論文などの読み応えのある本で、雑誌はカウントしない、等の記述があります。

また、本書の著者が戦前・戦中を学生として過ごした経験が共通しているのですが、そもそも旧制中学とか高等学校に行っている時点でエリート階層なのだという、越えられない壁を勝手に感じたりしました。

さすが偉い先生は違う。仕事で必要とは言え読むもののジャンルが最先端でハイレベルだ!とそんなふうにも感じている、そこが期待どおりというか、凡人とは違う世界なんだなあという諦めにも似た安堵を感じました。

一方では上述の杉浦氏のエピソードで、新聞紙を畳に敷いて眠る(睡眠中の汗や脂を目の当たりにして新聞を敷いて寝転がるようになったそうな)ことにしてから、読書は座って行うように習慣づけられたというものは、妙な親近感を感じたりするのです。

読書家と自負する人々は、きっと多くの読書体験をする中で、その姿勢の試行錯誤も膨大な経験を有するものと察します。

私自身も座って読んだり寝転がって読んだり、果ては眠らないように立って読んだりと色々試してきました。

そんな自分自身の経験と、この本の著者たちの試行錯誤やいかに楽をして読むか、またはいかに自分は偉い先生方(各著者の恩師たち)とは違って凡夫なのか、ということを繰り返し繰り返し記述されています。

表現方法に時代を感じると言うか、戦後の自由さを感じつつも戦前戦中の漢文じみた文語体の雰囲気も残っているような、この時代特有の美しさすらも感じられる文章です。

型式張った文章ではなくコラムで連載というところが、このような砕けた、だけれども書き手自身の格式の高さを滲ませるような文章になっているのでは、と思わせる雰囲気です。

同じ日本語なのに時代背景によってここまで雰囲気が変わるものか、と改めて感じるところもある、そんな一冊です。

 

独特の味わいがある本

先述の権威性を感じる部分の記述(大抵は章の前半部分なので、始めは”ちゃんと”書こうとしたのか?)と、ここで触れている親近感を感じる凡人であるという主張が、うまくバランスしてこの本独特の魅力を纏わせているように感じるのです。

まだ何者でもない頃の自分の、その重要な知的活動である「読書」に関して、そのごく個人的な行為を行う内的心情を記述してくれているこの本、正直言ってかなり心に刺さってきたのです。

「一流の知識人」に親近感を持ったからと言って自分もそのようになれる、というわけではないのですが、今はどんなに立派な一流人であっても、そのスタート時点(学生時代とか若手時代)ではやっぱり自分と似たような普通の人間なのだと確認ができます。

この権威性と親近感といういわば相反する要素が巧みにバランスされているところ、そして読み手を飽きさせない記述の巧さ、こういうところに「知の巨人」たる偉大さが滲み出てくるのでありましょう。

そんな独特な味を持った本ですが、若い時に読んだ方がいいんだけどある程度人生経験を積んでからも読むのが面白いんじゃないかなあと思います。

あまりに若いうちに読むと、その裏にある味わいがちょっと理解しにくいかな、そんなふうに感じる本でした。さすが岩波さんです。

まとめ

1960年という、今となっては戦後まもない時代とも言えるような時に書かれた「読書論」。

戦前・戦中に学生として過ごし、苦学したであろう知識人たちが記述する読書論、知識の獲得に向けた知恵とも言える方法を記述した本書は、今の便利っで生ぬるい世の中から振り返れば、まさに知のサバイバルを感じさせるものでした。

読み手の私自身もある程度の人生経験を積み、多少はその人生に深みを持ち始めたからこそ、このような内容の本を味わうことができるのではなかろうかと感じるところもありました。

よくある「読書法」のように、ノウハウ集として活用するよりは、一つの文芸作品というか、同じテーマについて異なる知識人が書いたコラム集として楽しむことが本書の存在意義でもあるのかなと思います。

もちろん、ノウハウ集として活用することもできるでしょう。

中には「独学法」とも言える知識定着の工夫にも言及されています。

しかし本書を通読して感じたのは、どの筆者も読書を楽しみながら行っているということ。

一月一万ページ読むことを義務として課している筆者もおりましたが、それは楽しみだけで興味の幅を広げると収集がつかなくなるからであり、その縛りの中でのジャンル分けをするために縛りを加えているとわかります。

結局自分が効率よく本の世界を味わい、楽しむための工夫であるとも言えるのです。

本書を読んでいて感じたのは、そうした読書が本来の自由さ、それを思い出させてくれたことと、それを意識してこれからも読書をしていこうということです。

この本の時代と現在の異なることは、なんでもない一般人でも本書のような「私の読書法」を発信できることであり、それが収入に繋がりうる時代になっていることです。

そのために本来自由であるはずの読書が、より儲かる本やテーマへ、そしてより閲覧者が得られる表現へと歪んでしまうことがあります(SEO対策など)。

元々が儲けや収入増を目指した媒体や企業のPRサイトならばそれでもいいかもしれませんが、私のように趣味の読書を記録するために始めたり、単に自分が読んで感動した本を紹介したいがために始めたブログだったとしたら、それはとても苦しいことになりかねません。

便利な時代に進化した分、そうした自己を律する強さも、自分自身で確立していくことが大切なのだなあという反省も、本書を読むことで得られた教訓です。

かなり古い(半世紀以上も前)岩波文庫の新書ですが、この小さな本が時代を越えて私たちに影響を与えることに思いを馳せること、そういうところにも読書の自由さ、時空を超えた人間の思考の自由さを感じずには居れません。

 

書物の戦場 鷲田小彌太 著

書物の戦場

 

タイトルに惹かれて買った”書評論”

書評ブログを目指して日々読書とその感想文を記録に残すことを続けているのですが、歴とした物書きで、思考の深掘りがなされている人の本を読みたいな〜と思っていたら見つけた本。

毎月開催の「浦和古本市」で見つけて、『書物の戦場』という血湧き肉躍るかのようなタイトルの本に惹かれて手に取りました。

書物を通して世界を知る。いま、その世界が面白い。

渋い。この多くを語らずに書の世界に意識を埋没させる行為の知的興奮を見事に表している。

というわけで、ロクに中身を見ずにタイトル書いした一冊となります。

 

鷲田小彌太氏の書評集

この本は1989年11月に出版された、著者が当時の様々な媒体で”注文を受けて”書いた書評を再録した物のようです。

ですが冒頭の1章では「読書の愉しみ」というように、この方がいかにして書物の世界を味わい尽くそうとしているのかをじっくりと語っていただいております。

冒頭にこのような興味深い、他人様の読書観が書かれていて、その後に実践編とも言える実際の書評記事が記載されているのです。

今となっては「書評」と言ったら、ブログなどの無料閲覧し放題の媒体が溢れておりますし、そのために玉石混交、当ブログも含めて質のあまり高いとは言えないものが大半です。

しかし当時(1989年)では未だ個人が文章を発信する機会はごく限られており、それだけに発信する側のクオリティ追求に至っては、今とは比べ物にならないほど高度なのではと思うのです。

さらに本書が貴重であり、私個人の読後感として非常に面白いと感じたのは、一般的な読書論や書評論、読書観のように一般化しようとしていないところです。

私自身、このブログを書こうとした時には、いかに広く読者を集めるか、という観点に縛られており、様々な他の方の書評ブログを読み漁りました。

そしてノウハウ的なものを取り入れたりしてみたのですが、そうしたテクニックは私の嗜好には合わなかったのです。

いつしか趣味で始めたブログも、元々好きだった読書すらも苦痛になり、一切本を読まない時期が半年ほどできてしまいました。

そういう経験を経たのちに、私は原点の「愉しむ」ということに立ち返りました。

それは極個人的な主観からのみ書き上げるもので、だれかに読んでもらうために迎合するのはやめようと思ったことが理由です。

そしてその「主観的」であり「極個人的」であるという姿勢こそ、私が求めている読書観であり、また本書の著者が体現している書評の書き方の姿勢なのだと感じました。

この方の主義主張は詳しくは存じ上げないのですが(これから他のご著書を読み進める中でわかってくると思います)、自分とは別の人間で、書評という文章を本に残すレベルで書かれているものと触れられたのは、まさに僥倖というべきものと言えます。

 

書評集への認識の変化

本書で紹介されている本自体はとても古く、テーマとしては昭和末期の社会主義への考察や天皇(制)への是非、そして脳死や家族論などと時代を感じるものがほとんどです。

そういった今となっては読み得ない(本書のように古本で偶然見つけることはあるにせよ)、まさに視点の拡張を実現するような体験、まさに「書物の戦場」に降り立ったような感想を抱くに至ったのでした。

Amazonで中古1円から販売されている本書、合理主義というか直接的な効果や利益がもたらされる薄っぺらい本が持て囃される現在、わざわざ探してまで読もうとは絶対に思われないであろう本書。

そんな本書のような、他者の視点から見た読書というある種の巨人の肩に乗って見る景色は、読書スキルともいうべき読み込みを深める基礎体力を鍛えるには最強のツールだなと感じるのです。

正直なところ、本書第2章をに入ったあたりから「ああ、この本はまとまった主義主張ではなくて様々な本の書評集なんだ」と、学びうる知識が雑多なものに成り下がるのでは?という残念な気持ちになったところはあります。

しかしそのまま読み進めていくと、昭和が終わり平成の世へと移り変わる時代の、その当時の人間の視点が生々しく感じられるのです。

著者は哲学教授とのことなのでやや難解な言い回しや、知ってて当然とされる前提知識のようなものが暗黙のうちの使われていて、都度わからない用語や出来事、時代背景を調べながらの読書でした。

そんな手間を掛ける必要があるのか?と思いましたが、そこはやはり書き物のプロフェッショナルなだけあり、難関ななりについページを繰ってしまう魔力がありました。難しいけれどどんどん読み進めたくなる、不思議な引力です。

そんな魔力に飲み込まれたのか、第2章では何度も寝落ちした本書なのですが、第3章に入って文章に慣れたあたりからは一気に読み進めることができ、楽しく読了と相成りました。

ついでに言えば、本書で紹介されていた『ジョゼフ・ニーダムの世界―名誉道士(タオイスト)の生と思想』をAmazonで見つけ出して注文してしまったのです。

こんな30年以上も前に書かれた書評記事の寄集本に影響されて、当時の本を探し出して買う人なんか普通はいないでしょうね。

でもこの人が書く書評は不思議と引き込まれてしまい、ついつい興味を惹かれて購入へと繋がってしまうのです。

そういう意味ではこの方の書評論は、現代の書評ブロガーにとっても学ぶところが大いにある一冊なのではないかと思うのです。

 

読書の”愉しみ”が深まる体験

この方の他の著作を調べてみたら、『大学教授になる方法 (PHP文庫)』『自分を高める表現の技術』というような興味深い本をお書きになっているようなのです。

中にはKindle Unlimited対象になっている電子書籍版もありますので、家の積読をある程度消化してきたら(消化する前に読むかも?)、きっと読み始めてしまうのであろうなあと思っています。

これまでこの方の著作に出会わなかったのが不思議なくらいに、本書の表現や読書観と言ったものが、私個人の嗜好に沁み込んでくる感覚を得ることになりました。

このような古本だからこその、好みや流行に流されがちな新刊めぐりでは味わいにくい、奇跡的な著者との出会いがあるから古本市や古本屋巡りはやめられないんですよね。

途中で読み進めるのをやめず、最後まで読んで本当に良かった。

本書を読み終えて、巷では「つまらないと感じたらそれ以上読むのは無駄、だから読まずに捨ててもいい」なんて暴論もあるようですが、それは先述したように「合理主義」「実利優先」のさもしい根性の現れではないかという思いを確たるものにしました。

そういう価値感ももちろんあって然るべきなのでしょうが、少なくとも私自身は人生を豊かにしていく読書を目指していきたいと切実に願うものですから、本書のようにすぐには役立たないけれど、視野が広く深くなるような読書を続けていきたいと思います。

それはつまり書評から稼ぐという道からは、どんどん離れていくことになりますが…。

小銭を追って自分の読みたくない本を読み、書きたくもない読まれるための書評を書くなんて真っ平御免ですなあ、と踏ん切りがついたようにも思うのでした。

 

レバレッジ・リーディング 本田直之 著

レバレッジ・リーディング 100倍の利益を稼ぎ出すビジネス書「多読」のすすめ 

本田直之 著

ビジネス書「多読」のすすめ

「レバレッジ〇〇」でおなじみの本田直之氏による「多読」を進める本です。

もう10年以上前の本ですが、Kindle unlimitedの対象になっているのでビジネスにおける読書
の”世俗的な”効能を知るにはうってつけの一冊です。

この本が出た2006年、私が本書を初めて読んだ時にはわかりませんでしたが、もしかしたら
本田直之氏は読書が苦手なのでは?と今回読んだ時には感じました。

読書が苦手だから、苦手なりにもたくさん読むこと、読書ではなく投資として実行することを
編み出したのかな?という印象です。

読書が苦手と言っても、そこから大きな収益を生み出せることが確実にわかっているなら、
苦手だと思うに間に読んでしまえ!というゴリゴリ系な感じがプンプンします。

 

読書嫌い向けに読書のハードルを超低くした本

おそらくですが著者の本田氏は読書というか本を読むのが苦手です。
少なくとも活字中毒ではないでしょう。

でなければ「本を読む目的を明確にし」「本の中で必要なところのみ情報を拾う」
「これはパレートの法則にも則っている」ということは書かないと思うからです。

確かに明確に必要な情報がわかっているビジネスに役立てるには、効率的な読み方でしょう。

しかしこの読み方では、未知の分野の勉強をするとか、好奇心のままに視野を広げる読書でも
効果を発揮するのは難しいでしょう。

目標を決めて必要な情報を収集するという意識づけでは、自分の知らない情報は認識すらする
ことができないからです(RAS:脳幹網様体賦活系)。

本書では、目標を決めてその情報に意識を向けることで、必要な情報が得られるといいます。
これはRASを積極的に活用しようと、欲しい情報にターゲットを決めて、その情報に対する
感度を上げようとするもの。

一方で私が思う読書とは自分の知らない世界を一歩先に体験するようなイメージですから、
自分の知らない世界を丸ごと切り捨てる読み方はやや承服しかねるところがありました。

 

本書が役立つ場面、活用したい場面

とは言え、かなりのビジネス上で結果を出している本田氏の著書ですし、もう初版から16年が
経過しています。

それでも未だ新刊で買えるということは売れ続けているということですから、やはり一定以上
の支持があるということです。

私自身もこの本の考え方に則って本を読み、新卒入社した会社では必要とされる知識をかなり
のハイペースで本を読みまくって身に付けることができました。
実家住まいだったせいもあり、手取り15万円のうち10万円くらいが本代に消えていました。

当時は本の重さで実家の床が抜けて、改修工事をする羽目になったくらい本が増えました。
そのくらい本を読むペースが上がり、それに比例してどんどん知識は増えていきました。

だから急いで身に付ける必要がある知識があり、それがかなり切迫しているような状態では、
とりあえず物事の大枠を掴んで自分に直接関係あること(だいたい2割くらい)を精読する、
という本書の方法は、とても効率的で効果的なのです。

そして本を読む習慣がなかった(とは言えマニアックな本は読んでいた)私が1日に数冊以上
本を読むようになったのも、この本の「最初から全部読む必要がない」という本読みにとって
はにわかには信じられない言葉によるところが大きかったです。

 

未知の分野の大枠を知るのにも役立つ

今でもこの本の読み方、考え方は、例えば未知の分野に対する理解をしたいと思った時など、
まずAmazonなどでその分野で検索をします。

そしていわゆる大元の本と思われる網羅的なものを買い、そして入門用、中堅者向け、特に
知る必要がある専門分野の本をそれぞれ2〜3冊ずつ購入し、レバレッジ・リーディングすると
いう使い方をしています。

こうした買い方ができない場合では、そのカテゴリランキングの1位〜10位をまとめて購入、
そしてレバレッジ・リーディングをして自分用のメモを作る方法で把握していきます。

だからこの本の方法が絶対的にあっているとか間違っているではなくて、時と場合によっては
使い分けていきましょう、というのが私の考えになります。

 

この本の”キモ”になる箇所

”読書の流れ”で紹介されているところで、

本を読む目的を明確化
読むところと読まないところの明確化

制限時間を設ける
本の内容次第だが、平均は1〜2時間程度

全体を俯瞰する
「まえがき」「目次」「あとがき」等をチェックし、本の全体像を頭に入れる

読書開始
緩急をつけて読む・・・重要なところは熟読、他は斜め読み
ポイントを押さえる・・・線や印、書き込み、ドッグイヤーなどのマーキング

このような流れが紹介されています。

この流れは、速読本や他の多読本、あるいは読書論を説く本ではほぼ共通して示されている、
目的を持って本から情報を検索する読み方です。
いわば「検索読書」の雛形とも言えるでしょう。

この読み方を絶対的読書方法だと信奉する人が多いのですが、この読み方のデメリットは、
自分の知らない知識が頭に入ってこないということです。

このことをしっかり肝に命じた上で検索読書法を実行しないと、いつまで経っても読書ばかり
している【知ったかぶり野郎】になってしまいます。

何を隠そう、私もしばらくはその状態でした。いわゆる【知識だけあるバカ】です。

 

本書は「速読否定派」

速読は高速で読書すること、という風に捉えられますが、ここでは速読は否定気味です。

速読をするにはある一定以上の訓練が必要とされることが多いですが、そうすると本書の
キモである「効率よく必要な情報を検索する」という行為に支障を来したり、速読を諦めた
人たちに本書が刺さらなくなるからだと思われます。

しかし本書に書かれている内容は、そのまま巷に溢れる「速読法」のやり方のままです。

いわゆる速読法は、自分の知っている知識(ストック)を使って、本を見ることで脳内の
ストックを引き出すことで認識を補完する方法で読んでいるつもりになっています。

ですから本書は速読を否定していますが、速読そのものです。

ただし速読といっても、速読技術そのものに注目した方法であることに注意です。
速読の本質とは、早く読めて、しかも内容がしっかりわかっているということです。

そして速読とは結局、技術的習熟が必須のスキルの一つですから、つまり読書体験が非常に
多く積み上がっていくほど早く読めるというだけの話です。

どん速』で有名な宇都出氏の本にも書いてありますが、速読技術を身に付けるということが
先行しすぎてしまって、本を読む回数が増えなくなっていることが、逆説的に速読自体が
できないことに繋がっているとも言えるのです。

ですから速読するという意識を持たずに本書の技法を使ってたくさん読書することで、まずは
速読達成に向けての「読書体験の積み上げ」が可能になるとも言えるでしょう。

その意味では本書は、意図せずとも速読のトレーニング本であるともいうことができます。
本書は速読本ではないと否定していますけどね。

何はともあれ、とにかく大量に読書することは間違いなく役に立つということです。

 

まとめ、感想

自分の知らないことがどれだけあるのか、その膨大な未知の領域を知ることが読書の醍醐味で
あるともいえます。

知識を得れば得るほど、自分の知らない世界がどんどん広がる。
まさにソクラテスの「無知の知」とも言える境地です。

そんな状態になるには、本書の読み方はあくまで入門者向けと心得て、急いで情報が欲しい時
に限って使う方法だと決めておくことです。

そうした知識を得て実践し、それでも上手く行かなかったなどという体験を通じて、色々な
読み方であったり、知識の応用の仕方を学んでいくのです。

本を読むのがどうも苦手だ…という人には、この「レバレッジ・リーディング」から始めると、
いつの間には読書大好き人間になっているかもしれませんよ!

 

乱読のセレンディピティ 外山滋比古 著

乱読のセレンディピティ 外山滋比古 著

知の巨人が説く読書のコツ

本書は「知の巨人」と言われている外山滋比古氏の著作です。

氏は「思考の整理学」など30年以上に渡り読み継がれている本の著者としても有名で、
その考え方や著作などの実績から「知の巨人」と呼ばれているとのことです。

そんな知の巨人が書いた読書論であれば、相当厳格なものが書かれているに違いない!という
期待と怖れの混じった気持ちで手に取った本書ですが、やはり偉人だからなのか、その読み方
は脳の欲求に素直に従う読み方のようにも見えてきます。

圧倒的な知力を持つ著者がそこまでに至ったのは、この脳が求めるままに進める読書が
役立ったのか、あるいは知力を鍛えた後に編み出した読書法なのか。

何れにせよ、この読み方は「セレンディピティ=思いがけない発見」ができるようです。

著者についてと本書の概要

著者について

まず本書の著者について確認です。

外山滋比古(とやま・しげひこ)
1923年、愛知県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。
東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を経て、現在に至る。文学博士。
英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続け、その存在は「知の巨匠」と称される。
著書に、およそ30年にわたりベストセラーとして読み継がれている『思考の整理学』(筑摩書房)をはじめ、『知的創造のヒント』(同社)、『日本語の論理』(中央公論新社)など多数。

-本書奥付より引用-

一部の読書習慣がある人にとっては有名人過ぎて今さら感が否めませんが、改めて略歴を確認
すると、”30年以上もベストセラーとして読み継がれている”本を出したという、桁外れの実績
が目を引きます。
知の巨匠と称されるように、まさに言語の専門家、そして言語を使って行う思考の達人とも
言えるでしょう。

そんな著者が思考の外部入力のような「読書」についての本を書いたとあれば、
読書家を自認するものとしては読まずには居れません。

 

本書の概要について

本書が何を言っているか一言で言えば
「とにかくたくさん、面白いと思ったものを読め」と言う事です。
特に刺さったのは、「つまらないと思った本は途中で読むのをやめて捨ててしまえ」。

著者も「本に読まされてはいけない」と言うように、読書とは主体的な知的活動であるべきと
言います。

自ら興味のある分野について主体的に知識を取りに行ってる活動なのだから、
そこで本に読まされる、つまり興味を失った(つまらない)本を、なおも我慢を続けて
読了を目指すと言う時間の浪費は本末転倒であるということです。

それよりも、なぜつまらない本を選んでしまったかを反省し、面白い本を選べるように以降の
本選びに役立てるべきなのです。

もうこの考え方に触れた時には、殴られたような衝撃を受けました。
本を途中で投げ出すべきだなんて。

そのようにできるためには、身銭を切って本を買うことが必要だとも言います。

もらった本や借りた本(タダで手に入れた本)は、まず読もうと言う気が持ちにくくなり、
結局積ん読化しがちです。

それに知っている人が書いた本をもらう(興味がないのに)と、その著者の人となりが
チラついて本そのものの記述に集中できず、不健康な読書となってしまう。

もし、つまらないと思った時、捨てられなくなるのではいけません。
だから本は身銭を切って買うのが良い、と言うことになります。

このほか、読書をより充実した活動にするために役立つ考え方や、日本語を読み取るための
訓練(アルファ読みやベータ読み、と本書で読んでいるものなど)について、目から鱗が
落ちるような記述がたくさんあります。

さすが言語の専門家、知の巨匠といったところです。

読後感や感想など

読書が好きな人は「読書論」的な本も色々読むと思いますが、本書の内容はそれら読書論とも
また一味違った斬新さと言うか、自分に素直に読もうよ、と言う姿勢が感じられました。

人によって読書論が違うように自分に合った方法を選んで読んでいくことが、
本書でのテーマである「セレンディピティ」を引き起こすコツなのかもしれませんね。

本書を読んでよかったと思うのは「身銭を切って本を買え、その理由はこうだ!」と
言うのが明確になったことと、我慢してつまらない本を読むなと言うことの2点ですね。

そう言ういわば読書に関するワガママと受け取られかねない本音の部分を、「知の巨匠」が
本に書いて出版してくれたことが大きな意義だと私は個人的に思っています。

日々苦行のような読書を強いられている不本意な読書家への救いともなりうる、さすがは
「知の巨匠」だ!と言いたくなるようなそんな一冊でした。

『思考の整理学』の印象(難しくて読みにくい)とはガラリと変わって、一種のエッセイ的な
体裁の文書だったのも、すんなり入って行けた理由かもしれません(『思考の整理学』は本書
の考え方に従って読むのをやめました。捨ててはいませんが。難しかった)。

表紙の蛍光色を使ったデザインなど、ある意味で読書に関する固定観念を壊しにきている、と
言ってもいいような本でした。

 

「1分スピード記憶」勉強法 宇都出雅巳 著

「1分スピード記憶」勉強法 

宇都出雅巳 著

速読を無理やり実現させる

ちょっと表現がよくないかもしれませんが、
この本は誰でも速読(のようなこと)を行って、短期間に大量の情報に触れる
と言う離れ業を身に着けるための本です。

速読の応用版とも言えますが、とにかく大量に本の中身に触れると言うもの。
これはもう、無理やり速読する感じだなと言う印象を受けました。
が、誰にでもできそうな(練習は必要ですが)テクニックだと思いました。

速読そのものよりも、まずは大量に本の内容に触れること。
その時に速読的(画像として認識する方法)なアプローチが役立つ、
と言うものでしょう。

だから速読ができなくてもきっと大丈夫(!?)。

この勉強法の仕組み

通読した印象ですが、記憶術を応用しているのかな?と言うものです。
イメージで「なんとなく知っている」状態を作り出して、
本に対する苦手意識を薄めていきます。

無意識(潜在意識)を活用する方法論だと思われるので
こうした「いやな感覚」「マイナスの感覚」が大きな障害となります。
それゆえに、まずは本に馴染んでいやな感覚を減らしていく工程が必要となります。

この工程を経ることによって分厚くて読む気がしない本でも、
小見出しを拾い読みして最後までページをめくることでいつの間にか通読できている
突き詰めればこんな感じ。

そしてさらに突っ込んで試験対策についても書かれており、
具体的に試験勉強はこんな風に進めていくといい、と言うノウハウもあります。

この本自体はそんなに厚くなく読みやすいものなので
これから試験を受けようという方は参考にしてみるのも良いかもです。

効率の良い本の読み方の1つとして

この本の著者の方は、別に速読そのものの本も書いています。
そちらの本もとにかくわからなくてもいいから何回も読め、と言うことを主張しています。

これは確かにその通りで、本なんて一回読んだくらいでは分かるわけがないのです。
とにかく何回も何回も読み込むことで、少しずつ理解できてきます。

学生時代の教科書がいい例です。
教科書はボロボロになるくらいに何回も読みます(と言うか授業で使いますよね?)。
最低でも週1回、それを1年間続ける。

通読回数としては1回かもしれませんが、同じところを何回も読むはずです。
そうしてやっと書いてあることが身についていきます。

本書はそれと原理的には同じことを行っているのかな、と思いました。
ただし具体的な方法としては、時間を短く区切って集中して行うと言うことです。

まとめ

本を読んで理解し、自分のものにすると言うことは、
やはり繰り返し読むことが必須です。

そのプロセスを進める時に、とりあえずわからないところをすっ飛ばしてでも
何回も何回も繰り返し読むことが大切であり、
すっ飛ばすための大義名分として何度も繰り返すからそのうち分かるようになる
(全体像を把握すると不思議と不明点も理解できる)
と言うことが言いたいのかなあ、、と勝手に解釈しました。

確かに一字一句を正確に追うよりも、ざっと全体像を何回も見た方が
理解しやすい体感は実感としてもあります。

これからの効率的な読書法として「速読」は大いに期待するところですが、
なんども繰り返して読む方が、じっくり精読するよりも早いし理解度も高まることに
まさに目からウロコが落ちる思いです。

遠回りに見えるけど確実に、短時間で理解に到達できる勉強・読書法。
これからの読書には積極的に取り入れていきたいものです。

ほんとうに頭がよくなる「速読脳」の作り方

ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方
苫米地英人 著

 

怪しいけど効果がある「速読本」

本書は、洗脳の専門家として有名な苫米地氏が書いた「速読本」です。
速読スキルというよりは、速読を行う際の姿勢を説いた本という印象です。

本書の姿勢を取り入れて、かつ別の著者が書いた速読本を合わせて読むことで、
少なくともこれまでの数倍の速さで本の内容を理解することができる、と言えます。

 

なお、本書は2020年現在、kindleアンリミテッドで読めるようになっています。
すでに申し込み済みの人はタダで読めるので、まずはご一読いただき、
その読書スピード向上を体験して見てください。

 

ややぶっ飛んだ主張ですが…

読書する人や自己啓発系の本をよく読む方はご存知かと思いますが、
著者の苫米地英人氏は、素人目にはかなりぶっ飛んだことを主張する人です。

いわゆる天才だから言ってることがわからない、という可能性もありますが、
ある種の信者みたいな熱烈なファンもいるようですから、怪しさに拍車がかかります。

ただ、この人が出版している本のテーマとしては、
基本的に(ぶっ飛んでますが)能力を高める内容が多いので、私も数冊読んでいます。

読書が趣味で日常的に本を読む身としては、とにかく時間が足りない!という感覚が
常につきまとっています。

この本を読む時間があれば他のことができるんじゃないか、とかの葛藤を抱えています。
もはや読書家の宿命かと思うほどに切実なのです。
だからこそ、「速読」を謳った本とあれば、とにかく読んでしまうのです。

 

本書の内容

本書は速読に際しての姿勢を説く本であると申し上げましたが、
速読本の例に漏れず、具体的なスキルに関しての言及もあります。

その中で私自身も効果を実感したトレーニングがあります。
それは「先読み」するという方法です。

簡単に説明すると、今読んでいる行の2〜3行先を、視界に入るように見ることを意識する、
という方法で、文字を認識する範囲を広げるトレーニングになります。

すでに速読ができている人に話を聞くと、見開き2ページ分を一気に視野に収め、
それを画像としてインプットして意味を捉えるというようなことを言うケースがあります。
この行為の、はじめの一歩としての、「先読み」と言えます。

 

そして先読みの他に言及されているトレーニングとしては、
並列読み、と言うものもあります。

著者の別の本でも触れていることがありますが、複数の本を同時に見て、
同時に意味を把握すると言うものです。

全く別の本で並列読みをすることによって、それぞれの本の意味が混ざり合うことなく
認識していく訓練になるものですが、これは私自身、できた感覚がまだありません。

この著者の本一般に言えることですが、脳の潜在能力を活性化して、
常識的には不可能と思うようなことを実現しようとするところがあります。

そのためすぐにモノにできるスキルがあまりないのですが、
本書の内容については、ある程度読書に慣れている場合には、
先読みなどのトレーニングは効果を実感しながら取り組めるのでオススメです。

広く視野を確保し続けると言う条件付けを自らに課すことで、本を読む際の目の疲れが
軽減されたように思います。

狭い範囲を凝視し、単語単語の意味をいちいち認識するのではなく、ある程度まとまった
文節や文章を丸ごと取り込んで認識していくという方法が、
視点を固定させずにぼんやり見る、と言う方向へシフトしつつあるように思います。

 

本書がオススメの人

たくさん読みたいけど読むのが億劫な人。
積ん読が溜まってウンザリしている人。

この本は苫米地氏の本にしては、実践後にすぐ効果が実感しやすいものでした。
文字の分量としてもそんなに多くないので、これから読書をしようとする人が、
その準備として読むのにもちょうどいいと思います。

 

書評まとめ

本書は苫米地氏の本の中でもお気に入りの1冊です。
読書、と言う情報を脳にインプットする行為を高速化することによって、
苫米地氏の言う「クロックサイクル」を早めることになるのか、なんとなく思考が早くなる
ような感覚にもなります。

ただ、一朝一夕に読書スピードが劇的に早くなるかと言うと、それにはトレーニングというか
慣れも必要になってきますから、まずはこの本のトレーニングが確実に効果的であると信じ、
読書の際には先読みなどを意識しつつ経験を積み上げていくのがよろしいかと思われます。

ある程度の冊数を読み込んでくると、いつの間にか自分の癖というか、自己流読書法に
陥っていることがあります。
そんな時はやたら目が疲れるとか、何かしらの読みにくいサインがあったりします。

そういうことが続くと、読書自体が嫌いになったと誤解してしまうことにも繋がるので、
折を見てこうした「速読本」を再読することで、自らの読書体験を振り返るツールにも
なったりします。

読んだことがあっても、もう一度お手元の本書を紐解き、
パラパラと眺めてみるのも有意義なことのように思えます。

読書の最適化にオススメの一冊

本記事で紹介する書籍…『多読術』松岡正剛 著

”読書=(面倒臭そうな)すべきもの”から”楽しむもの”へ

収入アップや出世など、
自分の能力や知見を高めるために非常に有益と言われている読書。

中には読書が趣味であったり、極端な場合では読書自体が生きがいだなんて人もいる、
気合いを入れて取り組まなければならないような、奥の深そうな行為でもあります。

そんな敷居の高そうな読書ですから、
読書習慣のない人にとっては負担が大きいのです。

本を読む量が多いほど収入が高いとか、
本がたくさんある家庭の子どもは知能が高いなど、相関が曖昧な噂も絶えません。

しかし本を読むことで本当に効果があるなら、是非とも読みたい。
そう思いませんか?

本記事では、読書をすると人生が豊かになる
(=結果的に収入アップや知能向上が起こる)
という前提に立ち、読書を楽しむことができるようになる方法を示します。

松岡正剛著『多読術』の紹介を通じて、あなたに合った
「読書スタイル」を手に入れて、
ぜひとも「楽しめる読書」を実践してください。

あなたの代わりに本を要約します

読書は日本でどのくらいポピュラーなのか

本書についてのご紹介の前に、日本人の読書量について引用します。

日本人は本を読まなくなったと言われますけど、
そのソースが【文化庁「国語に関する世論調査」平成30年度】(※更新しました)で、

前回調査(平成25年度)から比較すると、確かに減ってそうな数字です。
それでも平成30年時点で、月に1冊以上読む人が半数くらい。

逆にたくさん読む(月7冊以上)は、3.6%から3.2%へ減っています。
月7冊ですと、4日に1冊のペースくらいでしょうか。

それくらいの読書量で日本人の上位3%ちょっとに入れるなら、
読書ってお手軽な成功法とも言えそうです。

本書の内容

そんな読書に関してあまり積極的でない日本の状況を踏まえた上で、
本書(達人読書家の読書スタイルの紹介本)をオススメしていきます。

本書の紹介 (amazonからの引用)では、

読書の楽しみを知れば、自然と本はたくさん読めます。著者、松岡正剛の読書遍歴を振り返り、日頃の読書の方法を紹介しながら、達人による多読のコツを伝授します。「棚から選書する方法」「読書する場所」「最初に読むべき頁」等々、そのコツは多岐にわたります。本書を読んで、あなたに適した読書スタイルを再発見してみてください。

-amazon「内容紹介」より引用-

上記紹介文でも言及しているように「読書の楽しみ」を知ることで、
勝手にどんどん本を読んでしまう生活になるんですね。

ここが日本で読書人口が減り続けている一番の理由と思うのです。

人生で本格的に本を読む機会って、大抵が小学校だったりします。
私自身もそうですが、小学校で本を読む時っていい思い出がありません。

みんなの前で音読したり(時に恥をかいたり)、
出題者の意思に沿った読解を求められたり。

不本意な読解というか、そもそも「読解」を求められることが不本意。
自由に楽しく読ませて欲しいんですけどね。

だから私も小学生当時は本をほとんど読みませんでした。
そんな読書の原体験を大量生産する日本にあって、
読書の楽しさや読書がもたらすものを紹介しているのが本書なのです。

著者について

松岡/正剛
1944年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。科学から芸術におよぶ多様なジャンルに取り組み、その研究成果を著作・映像等として発表。独自の視点による情報文化論、日本文化論に定評がある。インターネット上で壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」を展開中
-amazon「著者略歴」より引用-

著者紹介には「科学から芸術に及ぶ多様なジャンルに取り組み」、とあります。

この方が編集長をかつて務められていた「工作舎」という出版社がありますが、
まさに「芸術と科学の境界線が曖昧な時代の視点」を提供してくれていました。

まだ学問領域が高度に発達していないからこその柔軟な視点とも言えますが、
高度な科学技術を扱う現在において、新たな着想を得るにはこうした多くの分野を
横断し得る視点の提供が生きてくるのではないでしょうか。

今よりも生きた人間の暮らしに近づけるというか、
自然が身近にあるような感覚を提供してくれます。

本書の概要

本書はよくある読書のハウツー本ではなく、本格的な読書論とも言えます。

読書の達人たる著者が、長年にわたり蓄積してきた読書に対する考え方を紹介し、
それを踏まえてどうやって本に対峙するのかを説いています。

本書は次のように章立てが組まれています。目次を引用すると

第一章 多読・少読・広読・狭読
第二章 多様性を育てていく
第三章 読書の方法を探る
第四章 読書することは編集すること
第五章 自分に合った読書スタイル
第六章 キーブックを選ぶ
第七章 読書の未来

読書をしたいのになかなか思うように進まない、積ん読がどんどん育つ。
そんな(私のような)人にとっては、読書が半ば義務のような感覚になってきます。

この本で提示されている読書方法は、著者の松岡氏が長年の読書生活で編み出してきた
目的別の方法や読書スタイルとも言える本と向き合う姿勢というものです。

そして全ての根底にあるのは「読書の楽しみ」を知ること。

読書を楽しむことさえできれば、
いくら積ん読の山が聳えようとも苦しい義務感はなく、
ワクワクしたこれから知る新しい世界への期待が高まることになるのです。

読書は著者・編集者、三者の対話である

読書とは著者と読者との対話であり、
その間を取り持つのが編者であるという主張です。

著者の主張をそのまま本として出版したのでは、おそらく「アク」が強すぎて
本来の意図が伝わりにくい恐れがあります。

しかし編者、編集者が間に入ることによって多くの人が読解可能な言葉に
翻訳したり、構成を工夫したりすることによって、
著者の声が多くの人に理解され得る形に編集されます。

結果として出版される頃にはこの三者によって、読書の味わいが完成されるのです。

いかに優れた主張であっても、読者が理解不能な文章では存在しないも同然です。
そこで編集者という存在が、著者の生の声を一般読者にも届く形に”翻訳”する。

こうした視点を持つと、読書という行為に関わった多くの人に思いを
馳せることができ、さらに深い読後感、満足感が得られるようになるでしょう。

書物と本棚はワンセット

「本棚はその人の頭の中を表現している」
これはまさに的を得た指摘です。

これまでに読んだ本が全て保管されているとは限りませんが、
少なくとも本棚に残してあるということは、その持ち主が手放すには惜しいと
思うからこそそこに存在している本であると言えます。

そして本棚の本の並び方も、意図する、しないに関わらず、
何らかの持ち主の意図が現れている、と考えられます。

ですから、自らの所有する本棚を定期的に見返すことで、
今、自分が関心のあることや集中的に知識を得ようとしていること、
考えていることが象徴的に認識できるツールであると言えます。

本書を読むことにより、
単なる読書法、ハウツー本ではなく「読書論」である、と言えるのは、
こうした本を読むことによって得られる背景にも言及しているためです。

本棚が持ち主の頭の中を象徴しているのならば、
逆転の発想として、頭の中を整理したい場合には、本棚を整理すれば良い、と
いうことにもなります。

事実、不要な知識やすでに役目を終えたなと思える本を処分すると、
思考がクリアになり、より発展的な思考やそのための書籍が新たに本棚を埋めます。

さすがは読書の達人たる著者が言うだけのことはある、と言う内容の本です。

この本をオススメしたい人

日頃から読書を習慣としている人に対しては、ご自身の知識を棚卸ししたり
自分の読書体験をもっと充実させたい場合に新たな知見が提供されます。

あまり読書をしないと言う人であっても、読書はその楽しみを知ることが重要、
と言う著者のメッセージが響くと思います。

初版から10年ほど経過している本ですが、読書家でもある著者が説く
読書の本質論は、今なお迷える乱読家に、読書生活の指針を指し示してくれています。

書評まとめ

本を読むことは、本来楽しいことです。
それは人間が根源的に持っている好奇心を満たす行為だからです。

誰もが興味のあること、好きなことについては好奇心をもち、
自然に情報収拾を行います。

それがたまたま本から得ているケースが多い、と言うのが読書家なのではと思います。
情報化社会と言われて久しい現在ですが、誰もが情報発信できる世の中になり、
その情報の質については玉石混交という現状があります。

情報リテラシーを身につけて、有用な情報とジャンクな情報を選別する力を
身に着ける為、信憑性の高い情報が多い「本」という媒体を活用するのも
一つの方法です。

体系的に知識が身に付く、最もお手軽なツールとも言えます。

そんな本、書籍について、さらに多くの人が手にとって
活用してくれる世の中になればいいなあと思う読後感です。

【決定版】速読ならこれ一冊でOK【誰でもどんな本でも速読できる】

どんな本でも大量に読める「速読」の本
宇都出雅巳 著

【決定版】速読ならこれ一冊で十分

読書家には切実な問題=”積ん読”

本を読めば読むほど知識欲が増し、書店に立ち寄っては数冊買い、
スマホをいじればAmazonを巡回する。
そして出来上がる積ん読の山。これはもはや宿命です。

この積ん読がホコリを被り、塩漬けにならないように、ひたすら本を読み進める毎日。
幾分か読む速さは早くなるものの、革命的とまでは言えません。
そこで登場するのが、「速読」。

 

本記事では、速読を身につけるために私自身が実践して速読ができるようになった方法を、
どんな本でも大量に読める「速読」の本 」から引用しつつ紹介します。

 

速読ができるようになると言う根拠

速読ができるようになった根拠は、当ブログにて「温泉」カテゴリの書評が1日あたり
4〜5記事更新できている、と言うものになります。
記事執筆の速度はそこまで速くないので、この記事数が現状では上限です。

ただ本を読むだけなら1日30冊程度なら余裕で理解できます。
(ここでいう理解できるとは、本の要約ができる状態となります)

そんな可能性を秘めた速読方法を、ぜひ身につけましょう。

 

速読=速く読むこと?

速読とは、読んで字のごとく「速く読む」ことだと思われています。
しかし本当にそうなのか?

これは速読を身につける上で、しっかり理解する必要があります。

「どんな本でも大量に読める「速読」の本 」によると、速読できている状態とは、
【知識のストックがある状態】と言えます。
すでにその本の内容を理解するに足る知識を持っていると言うことですね。

それじゃ新しく知識を得たくて読む本は、速読ができないのか?というと、
ここがこの本の肝になるところです。
本書ではこれを【大量に繰り返して読む(大量回転する)】ことで解決しています。

 

誰でもどんな本でも速読できる

では、実際に「どんな本でも大量に読める「速読」の本 」から、具体的な速読トレーニングを
紹介していきます。

速読は「知識のストック」を読んでいる

速読は「知識のストック」により実現可能となる、と述べました。
これは関連分野や自分が詳しい分野であれば、ある程度は速く読めるとも言えます。
すでに知っている言葉や言葉の羅列は、見た瞬間に理解することができます。

文字の順番が入れ替わっていたり、誤字脱字があっても脳が勝手に補完して認識させて
いくため、いちいちつっかえることなく読み進めていけるのです。

ですが、ここで問題となるのは「未知の分野」に関する本の速読です。
その場合、補完するためのストックがないため、いちいちつっかえます。

ですのであらかじめ(理解できなくても)知っている状態にするために、その本の
「高速大量回転」で解決していきます。

この部分が、「速読をしている」と他者から見られる部分にあたります。

 

本の高速大量回転という読み方

本の大量回転とは、何度も何度も同じ本を繰り返して読み込んでいく、と言うことです。

従来の精読でも、繰り返して読むことの重要性は昔から言われ続けています。
しかし実際問題として、限られた時間の中で繰り返し精読すると言うのは困難です。

それに精読していては、初めの方に読んだことを忘れてしまい、繰り返し読んでもその
学習効果は期待できません。

そこで「高速」に、かつ「大量」に回転させると言う方法を行なっていきます。

 

高速大量回転の方法

高速大量回転は、従来の「本を読んで理解する」と言う行為を一旦手放す必要があります。
ここは読書習慣が長い人ほど抵抗があるかもしれません。
本を読まずに「見る」、これが鍵となります。

本を読むのが遅い人やじっくり理解しながら読むと言う人(私もそうでした)は、
わからないことが出てくると、そこで止まってしまうことがあります。
一つずつ、しっかり理解しながら読み進めたいんですね。よくわかります。

しかし、高速大量回転では、繰り返し読むことが前提なので、わからないところは
そのままにして、どんどん読み進めていきます。

すると、全体像を大まかに把握した上で2回目、3回目と読み進めていくので、
大抵の不明点というのはいつの間にか解決されていきます。

高速大量回転が済んだ後でもなお不明点がある場合には、すでに把握している本全体から
自分が詳しく知りたい箇所をピンポイントで精読すればOKです。

 

高速大量回転を進めていくステップ

では、実際に高速大量回転による本の速読を進めていきます。
ここでは、文字を読むときに「音」にせずに、ただ見て認識することを意識します。

まだ慣れない頃は、1冊30分で読むことを目指します。
キッチンタイマーはスマホで時間を測りながら読むと、良い練習になります。

  1. まずは2分程度で目次を10回転(文字を音にせず、「見る」ことが重要です)
  2. 次に5分程度で「はじめに」「あとがき」を10回転(ここまでで全体像を把握)
  3. 本文を15分程度で5回転(見出しなどを見るイメージ。本文を読まずに見る)
  4. 仕上げに気になったところを詳しく精読または5〜10回転

これで本1冊の内容が理解でき、かつ忘れずにあなたの血肉となります。

もう速読教室や講座は受けなくていい

このように、本書のやり方を実践すればすぐに速読が可能になります。

コツとしては、

  • 文字を音にせず、つい読みたくなるのを我慢して「ただ見る」
  • わからないことは飛ばして次に理解する、と思う
  • 焦点を合わせようとせず、ぼんやり本全体を見るようにする
  • ぼんやり認識したことに対して、相槌を打ちながら見る

といったことが私の経験上、挙げられます。

初めの数回転は本当にわけがわからない状態で進んでいきますが、不思議なことに
なんとなく、本の内容が「知っている感じ」になってきます。
そうなることを信じて、とりあえずまずは2分間で目次を10回見ます。

無意識領域を使っているのかはわかりませんが、この方法で理解できるんだという信頼を
持てない状態(疑っている状態)だと、なかなかうまくいきません。
これで速読できちゃうんだ!ってある意味アホになって信じ込むことも有効です。

さあ、あなたも速読してみよう

よく言われていることですが、こういう文章を読んだうちの10人に2〜3人しか、
実際に行動へ移さないと言われています。
速読に関しては、上記の4ステップでできてしまうため、行動へのハードルも低いものです。

本記事をお読みなってもし速読してみようと思えたなら、ぜひ身につけてください。
そして限りある人生の時間を有効に、濃密に過ごしてください。

速読してまで本を読もうとするあなたは、すでにそれだけで日本人の上位4%(月に7冊
以上本を読む人は4%しかいない)に入っているのですから。

【参考書籍】どんな本でも大量に読める「速読」の本 (本記事にて要約している本です)