本の逆襲 内沼晋太郎 著

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

「本」そのものの見方の転換

『本の逆襲』というタイトルからして本そのものの価値転換などを示唆していますが、この本では活字離れとか本が売れなくなったという大勢に対して、本そのものの定義から見直し、本の未来を作っていこうという内容です。

特に多くの人が「本屋」としての一面を持ち、本屋としての活動をこれまでの生活の中で実践していくことを勧めているような印象を受けました。

例えば読書ブログを書くとか読書会の主催、あるいは今従事している本業との掛け算的な取り入れ方など、いわゆる書店のような本屋だけに囚われないで、「本屋×〇〇」という形を提案しています。

本屋自体は利益率の低い商売なので、まずは本業で生計を立てておいて、副業的に本屋的なアイデアを試していくということ。

初めからお金を求めて動こうとすると、どうしても行動が制限されてしまいます。

そこでまずは生活の心配をしなくて済むように、本屋として楽しみながらアイデアを試してみるために、このような初め方がオススメとのことです。

私自身はやむに止まれずいきなり古本屋として開業してしまいましたが、確かに生活がかかっていると本気で動く代わりに色々な面白いアイデアが出てこなかったり、挑戦的なことは難しいと感じています。

一方で事業として回そうとするなら、この方法では厳しいのかなあとも思いました。

まあ、「本屋」としてどこまで本気でやりたいのか、その人次第になってくるのでしょうね。

本屋・本の意味合いを拡張する

この本では「本屋」が「書店」とは違うものであり、書店とは販売する本の置き場所であり、本屋とは本と本を必要とする人を結びつける存在…のように定義しなおされています。

本書で論じられる「本」というものは、すでに従来の文字が印刷された紙の束だけではなく、情報を伝えるあらゆるものを「本」と呼んでいるように感じられました。

著者なりの経験と実績、そしてご自身の考えからそのように主張されていることは、とても詳細な説明や再定義しようとする熱意から感じられることです。

しかしこれまで紙の本を「本」として認識し、扱ってきた私の印象としては、この本で提唱されている「本」の捉え方は、やや強引なところもあるかなあ…と思うところです。

著者の内沼氏自身も新刊書店B&Bという、「本屋×〇〇」を実践しており一定の成功は収めているようです。

著者の運営するお店は、ビールが飲めて本を並べている什器も買えて、毎日イベントを開いているという本屋で、これまた従来の本屋イメージとはかけ離れているものです。

そしてこの著者の本屋を語る上で、あらゆる情報媒体は本であるという再定義が生きてきます。

著者がこのような色々組み合わせて本屋を始めたのは、本とは情報伝達の1つの方法であり、電子ファイルで言えば拡張子にあたるものが紙で存在しているようなもの、と考えます。

その紙の本は紙になる前はなんらかのテキストデータであり、さらにその前は口述なら話された言葉、あるいはネット上に断片的に発信された記事かもしれません。

このように、本とは紙に印刷されたものであるという枠組みを拡張して、本になりうるものはすべて本であると言ってもいいのではないか、という視点を著者は持っています。

これを踏まえて著者の本屋を考えていくと、イベントを始めビールや什器も本であり売り物となり、それは再定義された本を並べている本屋であるということになります。

本書を読み終えて感じたのは、そこまでして本に拘らなくてもいいのではないかということでした。

本は従来の本の形だから本であり得たのでは

ひょっとしたら著者の意図を読み取れずに漏らしているからこんな風に感じるのかもしれませんが、「本」が文化的な立ち位置を維持し、歴史的には公共財である面が強かったのも、従来の本としての形があったからこそなのではとも思いました。

現在では製本された本以外にも、ネット上の記事やSNSの投稿、さらには電子書籍などと言った様々な媒体でまとまった量の文字を読むことができます。

そしてそれらは本書では新たな定義付けがされた「本」として扱われます。

しかし一方で私が違和感を感じたのは、例えば電子書籍などは便宜上「書籍」と呼んでいるに過ぎず、本ではないのではないかと思うところです。

いずれにしても「本」の「定義」とどう決めるかによってどうにでもなる問題ですが、心情的にというか何かスパッと割り切れないなんとも気持ち悪い感じが、この本で解かれている本の定義には感じられるのです。

それはただの好みの問題なのか、新しいものへの感情的な反発なのか。

駆け出しの古本屋ではあるが、新しい形の本ではない旧来の本を扱う身からすると、本書の定義に基づく「本」ではなし得ないようなことができている…とそんなふうに漠然と感じます。

この感覚は古本屋として私が「物体として実在する本」の転売によって生活させてもらっているからなのか、あるいは本そのものについての存在意義がそう思わせるのか。

内沼氏の本はまだ2冊しか読んでいませんが、なんだかこの方の記述する内容は、私にとってはどうも座りが悪く、納得したくてもなんだか拒絶感が出てきてしまうのでした。

ただ本書に書かれている、新しい形の「本屋×〇〇」の事例や、従来のままでは本を読まなそうな層への訴求による見込み客の拡大は、商売としては活かしようもあるように思いました。

古本を扱うせい(?)で私自身の価値感旧態然としたものに凝り固まらないように、こういうやや抵抗のある主張にも触れて行かねばなあと反省もするのでした。