獄中記 オスカー・ワイルド 著

自然科学・芸術

獄中記 (角川文庫ソフィア)

獄中で内面を深める過程が垣間見える書

脳科学者の茂木健一郎氏が、その著作で何度も何度も本書をオススメするので、絶版本で
プレミアム価格だった本書を購入して読んでみました。

頭のいい人がなんどもなんども勧めるからには、かなり深遠なものが得られるのだろう、
そう勝手に解釈して2回ほど読みました。

というのも、一回読んだだけでは普通のちょっと感覚が鋭い人が買いた手紙かな、くらいの
印象しか残らなかったからです。

私はこの書簡をまとめたものを読むには、まだ人生経験や思索の深さが足りないのか。
正直、初めて読んだ時は良くわからなかったというのが感想です。

天才の描く文章はやっぱりこう、遠回りしている感じがするなぁ…な感覚。

背景を知ることで深まる理解

この本は、作家のオスカー・ワイルドが同性愛の罪(同性を好きになるだけで罪とかどんだけ
理不尽なのって思いますけどね)によって投獄された2年間に、その相手に宛てて買いた手紙
をまとめて本にしたもの、といいます。

私個人的に思うのが、素晴らしい繊細で独特の世界を表現する人って、マジョリティな価値観
とはズレたものを持っていることが多いなあということ。

オスカー・ワイルドという名前はしっているけど作品は読んだことない、という状態でしたが、
本書をきっかけにこの人について調べてみました。

情報ソースは、まずはウィキペディアですけどね。

すると、両親も文才に富み本人も若いうちから言語の習得に秀でていたりと、そもそもの基本
スペックの高さに目が止まります。

さらには日本の作家でワイルドの著作を訳した人たちも彼の文学を意識したりと、その影響は
意外と身近なところにまで及んでいる事がわかりました。

そして本書が書かれた背景としての、同性愛とそれによる投獄、釈放された後には失意のうち
に没するという人生。

まさに天才性をまとうにはぴったりの雰囲気な経歴だなあと思いました。

こういう人なら、『獄中記』で記述されてるような、

美しい肉体のためには歓びがあるが、美しい魂のためには苦痛がある

とか、

私は自分ひとりで完全に幸福であり得る。自由と花と書物と月とがあれば、誰が完全に幸福になりえないだろうか。

という文章が、なんだかスッと心に響いてくるんですね。

私がなんどもこの本を読み返しているっていうのもあるかもしれませんが。
獄中という閉鎖された空間において、自分の内面の探索をどんどん深めて、その先にある
「自分ひとりで完全に幸福であり得る」状態に気づいたのでは、と思います。

これは私(妄想癖がひどい)も体験的に共感できるところが大いにあり、自分を痛めつける事
自体が好きなのかと勘違いしてしまうのですが、実はその痛めつけている様に見える行為は、
それを乗り越えた先には「高みに達した自分」があると知っているからやっているのです。

上記の引用文から言えることは、オスカー・ワイルドほどの文才のある人物が、獄中に捕らえ
られるという状態を通じ、事故の内面で完結する完璧な幸福というものに到達した、その過程
を美しい文章で表現していることが、そもそも貴重で素晴らしい作品に昇華しているんだ、と
いうことなのかなあ…と思う事にしました。

そう思えば、この本がオススメされる理由として、とりあえず読む事で周囲の理不尽な状況に
関わらず、美しい魂のための苦痛を甘んじて受け入れ(=自分の魂が美しいと思い込める)、
そして自己完結型の内面の幸福を実現することができる、ということになります。

実際に幸福とは人によって感じ方も定義も異なりますが、金品や名誉などの獲得目的を突き詰
めていけば、結局「感情」を体験することにつながっている訳です。

だからこの本で書かれている様に、「自由と花と書物と月」があればいいとなり、
自由(精神を拘束することができない)と花(身近にある美しいもの)、書物(思索を促したり知識を増やす手段)、月(手の届かない理想的な風流さ的なもの?)があればいい、と
うことなのではなかろうか!と私は思い至りました。

幸福の形の1事例と見ていいのか

本書で記述されている内容というのは、非常に精神性の高いものにあたりますが、人が幸福
とかよりよく生きるとか、そういうものを実現するためのヒントになり得るものです。

しかしそこへ至る過程においては、複雑な事情があり単純に幸福ですねーとも言えないかな
という葛藤も含まれているかなという印象。

私のような凡人が、この偉大な作家が残したいわゆる本音のお手紙のないようについて
とやかく言う資格はないのかもしれません。

しかしながら本書を読んで(初めは意味不明でしたが)、よくよく著者や著者を取り巻く環境
や当時の時代背景、そして文章そのものの書かれた背景を知っていくと、美的に鈍感な私でも
どうやら精神面での幸福というのは自分だけでも完結しうるもののようだ、という朧げながら
も形を掴めそうだなあと思える様になってきました。

一点の疑問もなく幸福である、というには厳しいものではありますが、幸福の本質とは、を
考える時に、その「精神的な充足感」が主体であることから、本書は幸福という状態の一形態
という事もできるのかなあと思います。

なんか薄っぺらいなぁ…と自分でも感じますが、もっと深遠な、私が表現し得ないような
深い深い読み解き方をする読書家の方々がたくさんいることを思うと、より一層読書習慣に
コミットしようと思えますね。

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