鈍感な世界に生きる敏感な人たち イルセ・サン 著

鈍感な世界に生きる 敏感な人たち (Highly Sensitive Person (HSP) ) (心理療法士イルセ・サンのセラピー・シリーズ)

「よくぞ言ってくれた」感のすごい本

HSP(Highly Sensitive Person:とても敏感な人)という見方があります。

私もその傾向が強く、巻頭にあるテストではグループAで116点、グループBで20点、
A-BでHSP度を出すのですが96点でした。
これは60点以上だとHSPである可能性が高まるというもの。

昔から他の大多数の人に比べてやたらにヘタレだの貧弱だのと言われてきました。

ですがこの本に書かれていることが本当なら、そもそも刺激の受け取り方が少数派の「敏感なほう」だったのだと知ることができます。

そしてHSPという言葉をキーワードにして話をしていくと、意外にも私の身の回りには同じように「敏感なほう」の人が多く(5人に1人より多く)存在するとわかりました。

刺激に敏感な人は同じような人同士でつながりやすいのかもしれません。

今回は、本書『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』という、私にとっては「よくぞ言ってくれた」と感動するほどにありがたい本を読んだ感想と考えたことを書いていきます。

敏感な人とそうでない人

敏感な人なら思い当たる節があるかもしれませんが、自分はなんだから弱っちくて根性がないヤツだというセルフイメージがないでしょうか。

この感覚が敏感な人(=HSP)は、5人に1人の割合で存在するようですが、反対に敏感ではない人、いわゆる多数派の人は数が多い上に声が大きかったり活動的だったりして目立ちます。
学校や会社などの集団で過ごす場所では仕切る人が必要になってきますが、大抵はそういう敏感ではない人が、主に自分の感覚で仕切りますから、自ずと敏感な人には苦しい状況が生まれてきます。

早いうちから同じような感覚のHSPの人と繋がることができれば、まだ幸運かもしれません。

しかし多くの場合、敏感な人は、刺激の多い環境ではすぐに消耗するため仲間を見つけることも困難だったりします。さらに経験したとても刺激的な外界の経験を整理したり、そこから体力や精神力を回復させるために一人で過ごす時間も必要になります。

こうした特性上、HSPの人が仲間を見つけ、決して自分が貧弱で劣っている人間ではないと認識することが難しくなります。

すると、いつもなんだか自信がなく、余計な刺激や不測の事態で消耗しないように予めあらゆることを想定して準備をし、仕上げに全方位警戒網を自らの五感、神経へと課します。

敏感だから備えるのか、あらゆることに備えるから敏感に刺激を拾うのか。
どちらが先かはわかりませんが、そのような特性を持つために生きているだけでかなりのハードモードになっている、と気づくことになります。

この本では、そんな生まれながらに人生ハードモードに見えるHSPの人が、その高感度なセンサーを生かしつつも無理をしない、生きやすくなるためのアドバイスも書かれています。

敏感(=センサーが優秀)であることのメリット

このように、苛烈を極める(という表現が私にはしっくりきます)ような外界からの刺激を受けているHSPですが、センサーの感度がよいということは、大多数の人が感じられずに気づきもしない小さな変化に気づくことができます。

そして高感度センサーは、私たちが生きている世界、自然、環境と言った周囲の状況を色鮮やか(時に過剰)に認識させてくれます。
これによって人とは違う、創造的な発想が生まれてくるともいえます。

芸術家とかそういった独特の世界観を持っている人や、創造的な発想ができる人って、どこか変わっている雰囲気がありますよね。
それはもしかしたら環境からの刺激が強すぎ(と感じ)て、刺激から自分を守る行為だったり刺激を受けすぎて疲れてしまった自分の意識を休ませるためなのかもしれません。

そう思うと、歴史に名を残した偉大な人たちが「ちょっと変わった人」と当時の人々から評価されているということにも納得がいきます。

人は自分の五感を通じてのみ世界を認識する

こうした知識を得ることで大多数の人はHSPの感じる世界を想像はできるかもしれませんが、それでわかったつもりになって「このくらいは大丈夫だろう」と要求水準を決められることがとてもしんどいとHSPは感じます。

そしてHSPはHSPで敏感に相手の気遣いもわかるので、自分のために気遣いしてくれているのにそれでもしんどいなんて言えるわけない…と我慢して、それは非HSPからみたら「大丈夫そうだ」と見える…恐ろしいことですね。

でもこれまで私はそういう場面(ほとんどがこれ)に出会しており、そうした経験があらゆることを警戒して予め備えておく、といった習慣につながってくるのでしょう。

となると、この感覚がわかる側(つまりHSP自身)が工夫して自分を守りつつ世界と関わっていくことが求められます。

そんな時、本書のようなHSPについての体系的な知識を持っているのといないのでは、その工夫の効果は天と地の差くらいになります。

本当は敏感でない人にもこうした本の知識を知って欲しい…と思いますが、感覚が過敏すぎて苦しんだ経験がなければ問題意識も生まれないわけです。

となると、堂々巡りんなってしまいますが、結局HSP自身が自分の特性と世界の状態を性格に認識して、どう振舞えばうまくやれるのかを絶えずブラッシュアップしていくのが良さそうです。

そんなとき、この本の内容は大いに私たちHSPの力となってくれるでしょう。

感想と自分のHSPの生かし方

この本を読んで私自身も、大勢の人がいる中で無理して平然と振舞わなくてもいい、しんどい時はトイレにでも隠れて気力体力の回復に努めようと考え方を切り替えることができました。

そして周囲の多くの人ともちょっとズレている発想やモノの感じ方、考え方についても、それは周囲からより多くの情報を取得し、そして内に籠る内省の時間の賜物なんだと思えるようになりました。

HSPであることが自分の武器であるという認識に至ることで、堂々と休めるし(なんか敏感なヤツだからこまめな休憩が必要、と周囲も認識し始める)、話し合いが行き詰まった時に違う視点からの意見を求められたり、周囲の反応も変わってきます。

HSPだと適度な刺激に抑えようと、つい外界への働きかけを少なく絞りがちになってしまいますが、そこをこまめな休憩やキャラの確率などでうまく調整し、主体的に関わりを持つように努めることが大切に思います。

さらには「敏感で苦労している」という自己の体験は共感力を育て、同じように苦しんでいる人や全然関係ないことで落ち込んでいる人にも共感して寄り添うことができます。

私自身の性格として、大雑把(敏感すぎて敢えて細かいところを無視する)で人に頼られたいところがあるせいか、共感する力については趣味のような感じで磨きがかかっているはず。

そして他者への共感を積み重ねていくと、いつしか自分自身への共感として、常に強くあろうとか無理している自分を止めることを許せるようにもなってきます。

別に自分は優秀だから好かれているわけではないんだ、と思うことに決めてしまうのです。

するとそれは意外にも事実で、ヘタレで貧弱(そもそもそういうキャラです)であることが愛されキャラへと昇華するという、とっても楽な世界が目の前に広がってきます。

社会の中で生きていくには、多少の踏ん張りは必要です。

しかしそれを自宅外で常時維持し続けるのはいくら何でも無理ですから、必要な時に必要な分だけ「踏ん張る」という力の使い方へとシフトすることにも、自分の弱さを認めることは貢献してくるなあと実感しています。

本書のような「あなたは本当は弱っちくていいのよ」的なことを言われると、初めてそのようなことを言われた時のことを思い出すと、なんだか甘ったれているようで受け入れるのが怖い感じがしました。

しかしそれは強さと演じているにすぎず、本当の強さとは弱さを認めることです。

まずは自分の弱さ、限界を認め、その上でどうするかを考えで実行する。

この本を読んだ経験が、その一歩になればいいなあと思います。