知価革命 工業社会が終わる知価社会が始まる 堺屋太一 著

知価革命 工業社会が終わる知価社会が始まる 堺屋太一 著

1985年から見た未来の社会

情報が価値を持ち「知価」として認識されるであろう未来の社会像を予測した名著。
文庫版が出た時点において(1990年)も、すでに現在の古典と言われるほど。

2020年の現在(本書初版から35年経過後)、
この本が指摘していたまさに知価社会が到来しています。

大量にあるものを大量に使い、少ないものを節約することがカッコいいとする
「人類の優しい情知」によって、かつての工業化社会も生まれました。

そして今また、人類の優しい情知によって工業化社会が終わり、
新しい知価社会が始まっていく、ということを予言しています。

著者が膨大な過去の歴史を分析し、
歴史の変換点(始代、古代、中世、近世、近代、現代)において、
どの時代においても「優しい情知」が関わっていたと明確にしました。

次代に入る時、先進的な思想が「優しい情知」に沿った価値観として広まっていきました。

私たちが過去を省みる時、例えば西欧の中世が暗黒時代だったと言われた時期がありました。

それは現在(工業化社会)の石油を大量に消費し、多くの物財を所有することがかっこいいと
される時代の価値観から見た場合の見方になります。

近年、西欧の中世は中世で素晴らしい時代だったという見方もあると言われ始めてきました。

それはすでに現在の社会が、物財を大量に消費することを良しとする工業化社会から、
物財そのものの価値や自分らしさという情報(知価)に重きを置き、所有の多寡に
こだわらないという価値観へと変化してきているから、ということもできるでしょう。

本書は30年以上も昔に書かれているにも関わらず、
ほぼ現在の社会の形を予測している内容である点が驚愕に値します。

著者について

堺屋太一(さかいや・たいち)

昭和10年大阪生まれ。東京大学経済学部卒業とともに通産省に入る。通産省時代に日本万国博覧会を企画、開催にこぎつける。その後、沖縄海洋博や将来のエネルギー安定をめざすサンシャイン計画を推進する。昭和53年通産省を退官、執筆・講演活動に入る。現在は「大阪21世紀計画」の行催事委員長、政府地域活性化懇談会委員、セビリア万国博日本出展総合プロデューサー、アジアクラブ理事長として活躍している。
主な著書に『油断!』『団塊の世代』『巨いなる企て』『郡北の構図』『峠の群像』『歴史からの発想』『三脱三創』『千日の変革』『豊臣秀長(上・下)』『現代に見る歴史』『鬼と人と(上・下)』など多数がある。

-本書奥付「著者紹介」より引用-

本書『知価革命』の文庫版は1990年6月15日が第1版第1刷で、手元にある実物は
1993年6月3日の第1版第3刷となりますので、引用した部分は1993年時点での著者略歴です。
2019年にすでに亡くなられているとの事。

本書執筆後には経済企画庁長官を務めた事が有名でしょうか(詳しくはWikipedeiaを参照)。

日本万国博覧会の企画・開催や沖縄海洋博、さらには将来に渡るエネルギーの安定化にまで
寄与していたというのが、大物感がすごいですね。

官僚として活躍したのち、執筆・講演活動へと軸足を移していますが、もともとかなり聡明で
かつ行動力もある方のようなので、このような転身も可能だったのかもしれません。

本書のテーマである「工業化社会から知価社会へ」の変革についても、著者自身のご経験と
膨大な調査・研究から導き出された内容であることが、これらの経歴からも伝わってきます。

本書の内容

本書は知価社会が到来する知価革命が起こる理由の説明として、「やさしい情知」の働きを
キーワードとしています。

これは時代ごとに優勢となる美意識が、その時代に大量に供給されるものをたくさん消費する
ことと、不足するものを節約することがカッコいいと感じる性向をさしています。

この「やさしい情知」による時代の変革の例として、始代から古代への農業革命、
古代から中世への社会的主観優勢時代への変化などが提示されています。

そして知価社会へと変革する現在、大量の物財を持つ事よりも、
より良い物財(そのものが持つ良い情報を持つ価値、知価を持つもの)を持つことへと
価値観が変化しています。

こうした状況から、知価社会とは「高技術中世」のような形になるのではないかという
予測も示され、知価社会へと移行が進むにつれて社会がどのように変化していくのか、

また工業社会としての優等生だった日本が、知価社会へと変革する中でどのような変化を
推進し、受け入れていくべきなのか、という視点から著者の考えが展開されていきます。

「第1章 新社会の兆候」より工業社会から知価社会への変革

第1章 「新社会の兆候」
「高度社会」か「新社会」か
1.工業社会の頂点−戦後石油文明
高度成長に覆われた戦後世界
それは「石油」ではじまった
最も有利だった資源小国・日本
人間の「やさしい情知」
「規模の利益(スケールメリット)」の追求
工業社会の基本精神
2.「新社会」の兆候
「資源有限感」の定着
「軽薄短小」とポスト・モダン
「峠」を越えた石油文明
工業社会の終焉を示す諸現象
「やさしい情知」はまた働く
「知価の容器」としての物財
「知価革命」の兆候
社会構造の大変革を伴う
「知価革命」が今はじまった

-本書「目次」より一部引用-

第1章では「やさしい情知」により工業社会が発展してきた理由とその流れを説明します。

特に日本は資源小国であるが故に輸入元を自由に選べ、他国よりも有利にエネルギーが
確保できたことが高度成長へと向かわせた一つの要素だと指摘します。

そんな環境と「やさしい情知」の働きにより規模の利益(スケールメリット)を追求する
工業社会を作り上げました。

しかし1980年代には石油文明のピークは過ぎ、資源の有限感が社会に定着、
軽薄短小な商品開発やポスト・モダンという考え方や価値観が台頭してきます。

こうした従来の社会とは違う形の美意識を持つ人たちの出現と、その比率が増加によって、
新社会である知価社会の兆候が見え始めていました。

「第2章 文明の「犯人」探し」より文明形成とその進歩について

第2章 文明の「犯人」探し
未知なる未来
1.文明のはじまりと変革
社会変化を見る視点
オアシス農業と都市国家−始代
「古代」を生み出した「農業革命」
物財(モノ)に関心が集中した古代
物的生産の拡大を目的とした古代国家
古代文明の発展と限界
文明衰亡症状群
先進地域での人口減少
古代の終末−美意識の変化
中世のはじまり−人口構成の変化
古代と近代を繋いだインド「残古代」
2.文明の「犯人」とその現状
文明の「犯人」−技術・資源そして人口
「食えない所」で増え出した人口
「資源」の変貌と土地の砂漠化
「逆転」した技術進歩の方向
先行指標としての美術

-本書「目次」より一部引用-

第2章では文明形成過程とその進歩についての説明を、大きな影響を与える技術・資源・人口
という切り口から説明しています。

始代から古代へ移る時に農業技術の革命が起こり、古代文明はモノ余りの社会となりました。

故に古代文明は今の私たちの社会(モノ余りの工業社会)から見たら、そのあとの時代よりも
進んでいるように見えます。

しかし一方で古代から中世へと移行する時、資源の枯渇が起こります。
さらに人口が先進地域では現象し、その周辺地域で増加していく現象が起こります。

そして周辺部からの異民族が、先進地域へと流入して文化的影響を及ぼします。

具体的には古代的美意識であるモノ余り思想から、社会的主観を優先する美意識へと
変化していきます。

現在の社会(2020年)におけるミニマリストのような思想が中世ではかっこいいとされ、
モノを持たずに深い思索に励んだりすることが先進的であるとされました。

現在の社会情勢と比較すると、生活者の視点からでもよく似ていると感じます。

一昔前(本書が出版された頃)のバブルで浮かれた時代(モノ余り、大量消費)に対して、
モノを多く持つより自分らしさを表現する(知価のある)ものを持つことや、
極力ものを持たず究極的には家もないというようなミニマリスト的生き方が
良しとされる現在の風潮の対比に、強く共通性を感じるのでした。

こうした時代の移行を感じる指標として、
美術分野の表現方法やその対象がいかに表現されているかを見ていくと、
写実的なもの(=自然を目で見て手で触れる、モノ優勢の時代)か、
一方で抽象的なもの(=思索が主となり社会的主観が優勢となる時代)かを
判断する指標にもなりうるという視点が非常に興味深い点です。

「第3章 次代は「高技術中世」か?」より、現代社会を分析する

第3章 次代は「高技術中世」か?
「新社会」への胎動
1.反物質文化の誕生と特色
物質文明を否定することの「進歩」
社会的主観を重視した中世社会
後進地域の宗教が受容された理由
「モノ不足・時間余り」の文化
理知主義を排した中世
物財価値より社会主観が優先
一物多価と不等価交換
トータルメディアの世の中
中世の組織と国家
中世はなぜ終わったか
10世紀中国の「亜近代」
東洋「亜近代」の枯死とルネッサンス
2.今、起こりつつある変化とは何か
ポスト・モダンの意味するもの
資源有限感と人口構造変化の影響
物財飽和感と非数値への欲求
技術革新の効果−時間過剰
省資源化と多様化に貢献したコンピュータ
多様化の意味と影響
情報化の問題と将来
「モノ不足・知恵余り」の社会へ
「知価」はどこにも入り込む
労働実態の変化は見かけ以上
「貢献面産業分類」

-本書「目次」より一部引用-

第3章は、2章で考察した文明の発展過程、時代の入れ替わりより、
現在の社会はこれからどうなっていくのか、を考えていく内容です。

先述の通り現在(2020年)は情報化がかなり進んでおり、情報そのものが取引されている
まさに知価社会と言える世の中になっています。

さらにはミニマリストと言った最小限の持ち物で生活する人々の出現や、猛烈に働いて所得を
増やすモチベーションよりも多少所得は減っても自分らしい生き方を追求するなど、
中世での特徴と共通する要素が目立ってきました。

そこで本章は「次代は高技術中世か?」と疑問を投げかけているのですが、
単純にそのまま中世のようにはならないぞ、ということを述べていきます。

ここで予測されている未来の社会は、
2020年現在の社会である程度の答え合わせができるとも言えます。

すでに1980年代より兆候は出始めていたようですが、大量のモノを確保するよりも、
ゆったりできる時間的な余裕を求める指向が出てきたようです。

今となってはそう言った考え方はワークライフバランスなどという言葉で表されるように、
最も最後に動く官(国)が言い始めるほどに浸透しています。

社会は本書に書いてあるとおりに、反物質文明の形へと変化しつつあると言えるでしょう。

「第4章 知価革命と知価社会の本質」より、その本質を考察

第4章 「知価革命」と「知価社会」の本質
「新社会」を生む「知価革命」
1.「知価」の本質と振る舞い
「知価」の本質−社会主観による一過性価値
「意思決定コスト」の重要性
使い捨てられる「知価」
寄生的客観価値から自立的主観価値へ
2.「知価社会」の鳥瞰図
生産手段と労働力の一体化
都市中流階級を中核とした世の中
法人組織から属人的組織へ
官僚的管理能力から商人的才覚へ
等価交換原則の崩壊と職業選択の変化
「富の抽象化」
民族国家の喪失と思想圏の確率

-本書「目次」より一部引用-

知価社会を迎えるにあたって、社会にはどんな変化が起こりうるのかを考察する章です。

知価社会では、モノ余りによる物資文明を否定し、むしろ反物質文明へと変化していきます。
その中では、自分らしいモノ等を選ぶ「意思決定コスト」が重要になってきます。

これはモノ余り社会では影響がごく小さいために無視されていたものですが、
人々が十分にお金とモノを持っており、人と違うものを求め出す社会では
選択の余地が非常に多くなります。

その中から自分にふさわしい選択をするという、新しい「コスト」がかかるようになります。

この「意思決定コスト」が知価社会を形成する上で非常に重要になってきます。

そしてこれと同時に知価の方も次々と生み出されていきますが、多品種小規模生産と言える
形に生産形態が変わっていき、絶えず知価自体も消費され続け、使い捨てにされていきます。

こんな社会へと変わっていくと、人々の生産活動も変化してきます。

工業社会では生産手段と労働力は切り離されており、
いわゆる労働力しか持たない労働者として多くの人が存在していました。

これは自分だけで生産活動を行うことができず、組織に依存的になります。

また、組織自体は変わらず存在するが、その中身の人が入れ替わっても、
法人のようにその組織は組織として存続し続けるというのもこの時代の特徴でした。

一方、知価社会と言われる新社会では、生産手段と労働力が一体化する、
むしろ中世世界のような形に似た形になっていきます。

仕事が属人的になり、その人がいなくなったら、その組織も消滅するものになります。

その意味では中流階級(現在の個人事業主など)が非常に多い社会になると言えるでしょう。

組織運営を得意とする官僚的な管理能力から、商人的才覚が重要にもなっていきます。

また、世界の国家としての枠組みも曖昧になってきて、中世における宗教によって緩く繋がれ
ていた思想圏としての国家的組織に似た形の思想圏が生まれてくることが予想されています。

これは共産圏の国から制度や思想に従えない人が追放されるという形で現実になりました。

難民として追放された人々が隣国などに流入し、受け入れ側では為すすべなく受け入れざるを
得なくなります。

今現在ではまだ国家という枠組みが残っていますが、その実体としてはかつてのような
民族ごとの国家という形ではなく、その国の制度や思想に同意できる人たちが
集まっているという形になっていくのではないかと予想できます。

「第5章 日本の「知価革命」」より、来るべき未来への備え

第5章 日本の「知価革命」
「知価革命」ははじまった
1.工業社会の「優等生」・日本
最も理想に近づいた国
今日の優等生を未来の成功者に
集団主義を生んだ日本の風土
「消化」と「拒否」を可能にした位置
絶対的正義感のない実利主義
平和が育てた官民一体思想
資源制約が育てた日本的勤勉さ
資源の豊富化で爆発した成長力
2.「需要民主主義(デマンドクラシー)」のすすめ
凝縮された変革の時期
西欧を襲う高齢化の危機
「知価革命」で先行するアメリカ
「知価革命」と「産業の空洞化」
評価の分かれるアメリカの現状
工業社会を維持する力の強い日本
日本の選択肢
日本文化そのものが問われる時

-本書「目次」より一部引用-

最後の第5章では日本における知価革命についての考察です。

本書出版時には日本は工業社会の優等生として、理想的な国家となっていたと言います。

そんな日本が次代においても優秀な国でいられるために、日本独自で培ってきた文化や慣習を
しっかりと認識して、その土壌に合うような変革を進めていく必要があると説きます。

本章で触れられている他国の問題点、例えば高齢化や労働人口の現象などは、
本書が書かれた時点では日本においては全く問題になっていなかったようです。

そこで、やや楽観的に日本の将来は安泰であると言いたい論調が見て取れます。

しかし現実は、日本は本書発行当時に問題になっていた高齢化問題の国々を追い越すペースで
さらに深刻な超高齢社会へと突入し、人口も減少しつつあります。

かつての人口が増え続けて労働力の供給も絶えず、
高齢者の割合もそこまで多くない社会で成り立つ、工業社会のやり方を踏襲してきました。

知価社会へと移行しつつある中でも、
かつての成功体験である工業社会のやり方が手放せなかったのです。

本書でもこれは指摘しています。

成功体験を手放すことが最も難しい、しかし日本がこれから進んでいく新社会では、
これまでの工業社会でのやり方が通用しなくなるかもしれない。

だからこそ日本人の得意な他の思想に染まらずに実利だけを取り、
技術的にお手本を上回ってきた器用さを使って、
新社会に適合する社会システムを構築する必要があるのです。

現実には、特に労働者関係の法律などで個人的には遅れというか、
現在の社会情勢や労働環境にはそぐわないなと感じる制度が多々あります。

例えば労働法、労働基準法などは、工場における物品の生産に従事する労働者を想定して
作られているため、知識労働者(知価を生み出す労働者)に適用することが非常に困難です。

結果的に知識労働者の時間外労働時間が膨大に増えたり、
職場に長時間いても成果にならない(時間をかければ製品がたくさんできる工場とは異なる)
知識労働者の問題が生まれてきているのではないか、という違和感を感じました。

読後感、感想

本書は1985年、今(2020年)から35年も前に書かれた本であることが信じられないくらい、
現在の社会状況をピタリと言い当てているような印象を受けました。

このような人が国政に関わっていたにも関わらず、
その後の日本は失われた20年とも言われる大不況に見舞われます。

これは色々な外的な要素もあると思いますが、20年という長期に渡って経済が停滞したのは、
新しい時代にそぐわない社会システム(工業社会のシステム)を、そのまま使い続けてきた
ことが原因の一つにもなっているのではないかと思い至りました。

また一方で到来する未来がわかっていながらあえて触れていないのか、
高齢化や人口の減少も、他国の問題として扱われていたことには意外性がありました。

すでに現在の古典とまで言われている名著を書くほどの人が、
現在日本の超高齢化や労働人口の停滞を予測できなかったというのが、
いかに未来とは不確定な要素が多いものなのか、という難しさを痛感します。

著者も言及していますが、これが学者が将来予測を数年間違えてもいいが、政策立案者が
方針は合っていても数年タイミングがずれると大変なことになってしまうと言います。

この本を書いた時点ではまだ、元官僚の作家・講演家という立場です。

出身省庁が通産省であったことから、経済企画庁長官という立場で国政に関わっていますが、
さらに他の省庁、例えば厚労省などでも関わっていたとしたら、その鋭い未来予測の目で、
大問題となる超高齢化、年金、労働問題にももう少し希望が持てたのではないかな、と

今となっては叶いようのない思いを抱いたのでした。

本書のような、長い歴史を振り返って、その要素ごとに丁寧に分解して分析、
そして現在の社会と比較し、そこから未来を予測する。

こういう丁寧な仕事ができる人が書いた本というのは、
時代を超えて役立つ名著となるのでしょうね。

ここまで似たような歴史上の転換点が訪れるのなら、大抵の出来事は「よくあること」の一つ
として、歴史にヒントを求めることも有益だと言えそうです。