般若心経は間違い? アルボムッレ・スマナサーラ著

般若心経は間違い? アルボムッレ・スマナサーラ著

本書の概要

私たち日本人に馴染み深い「般若心経」。
しかしこのお経は、仏教の教えを正しく表現していないという説があります。

そんな説を主張するのは、スリランカ上座部仏教の長老である本書の著者。
漢字ばかりでそのままでは意味が通じない般若心経について、一つ一つ丁寧に、
その意味を元々の言葉の意味まで遡って解説していきます。

amazonの「内容紹介」では、

日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

-amazonより引用-

というように説明されています。
元々ブッダが説いた教えと現在の日本で信仰されている仏教は、かなり形が変わっています。

本書では、日本仏教とはかなり異なった形の原始仏教、そして現代に引き継がれている
上座部仏教について、その長老である著者が優しくわかりやすく説明しています。

著者について

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭を とった後、1980年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。全国で 講演やセミナーなども行い、ブッダの根本の教えを説き続けている。また、朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務める。

-amazonより引用-

上座部仏教という初期仏教の形を色濃く残す宗派のお坊さんですね。
日本との関わりも深く、ブッダの根本の教えを説き続けている、ともあります。

そういった流れで、日本では最もポピュラーと言ってもいいお経について、
「般若心経は間違い?」という著書で疑問を投げかけています。

般若心経はオカルト的おまじない

元々の仏教は、あの世とかおまじないとか、オカルト的なことを全否定した教えです。
それなのにただ唱えることでご利益がある、というお経が存在している。

それが「般若心経」である。

ここがまず、著者が主張するおかしなところです。
しかもその内容をよく調べてみると、仏教の教えが間違って伝わっているというのです。

本書では、初期仏教、つまりはお釈迦様が何を考えて、何をしようとしたのかが
わかるようになっています。
初期仏教で否定されたはずのおまじない、これが般若心経に含まれています。

また、仏教で重要な概念でもある「空」についての捉え方が間違っている。
色即是空(色はすなわち空、欲みたいなものは実体がない移ろうものだ)
空即是色(だから空もすなわち色、空だって欲望のようなものだ)
般若心経を書いた人が、そもそも空について理解してなかった、という説です。

内容の怪しさについては、お経が日本に伝わるプロセスを思えば納得のクオリティです。

まずブッダが教えを説く(インドの一地方語のパーリ語と言われています)。

弟子がそれを聞いて覚える。ブッダ亡き後記録する(うろ覚え)。

広めるためにインドの上流階級の言葉(サンスクリット語など)で記述される。

中国のお坊さん(三蔵法師とか)が音写する(発音を漢字で表記する)。

日本に伝わる。

もうすごい伝言ゲームです。これでは元の意味が伝わる方が奇跡。
そしてここまで来ると、よく意味がわからないけどなんかすごそうな言葉を唱えている感が
呪文を唱えているアヤシイ雰囲気に相まって、ありがたい効果がありそうな感じになる。

庶民がありがたがって「般若心経」を唱えまくる。
広まる。

昔の情報伝達のことを思えば、ここまで伝わっていることがもう奇跡。
だから私の個人的な意見としては、般若心経は、日本独自のありがたい呪文です、
という風に受け取ってもいいんじゃないかとは思います。

 

この本をオススメする人

お経の意味を深く探求したいって人には打ってつけ。
ただありがたい呪文だ、と思う人は読まなくてもいいんじゃないかなと思います。
意味を知った上で、知ったかぶりをして自慢とかすると、バチ当たりなようにも思いますね。

 

この本から得られること

日本に広く流布するお経である「般若心経」。
宗派によってはお葬式などで唱えることがありますが、そう言った機会で
しっかり意味がわかるというのは、探究心の強い人にとっては満足感が得られます。

お経の本当の意味を知っている人なんてそうはいませんから、教養としてしっていると、
もしかしたら周囲から一目置かれるかもしれません。

 

書評まとめ

とてもポピュラーで、その意味なんて改めて調べようともしませんが、
改めてどんな意味があるのか知った上でお経を唱えてみると、なんだかありがたみが
薄れていくような気持ちにもなります。だって間違えてますからね。

そうは言っても、だからこそ仏教は他力本願ではなく、自分自身を高めることによって
解脱(輪廻から解き放たれること)を目指す哲学的アプローチなんだ、と
思い直すことにも繋がりそうです。

仏教は今でこそ宗教の扱いをされていますが、初期仏教の教えとされている思想に
触れるほどに、ブッダは自らの人生を持って哲学的探求を極めた賢人なのだなあと
思いました。

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