かもめのジョナサン【完成版】 リチャード・バック著 五木寛之 創訳

小説


かもめのジョナサン【完成版】(新潮文庫)

読む人によって受け取り方が変わる寓話

手段の同調圧力に屈せずに、自分の生きる意味や自分の好きなことを突き詰めようとすると、よくオススメされるのが本書『かもめのジョナサン』。

かもめのジョナサンは飛ぶことに自分の生きる意義を見出したかのように、日々寝食を忘れて飛行技術の向上に取り組みます。

そしてその姿を見た両親や群れの仲間は、生きるために仕方なく飛ぶという行為こそが普通で自分たちがなぜ飛ぶのかといえば「食うため」だ、といいます。

群れの大多数のかもめが飛ぶことを「生活のために必要に迫られて」飛んでいる中、ジョナサンだけは「飛ぶこと」そのものを高めて磨き上あげ、その先の世界を見ようと孤独に奮闘しています。

そしてある時、ついにかもめの限界を突破し、まるでハヤブサのような小さなクチバシと小さな翼を再現、かもめ界では前人未到の速度域まで達する偉業を成し遂げるのです。

ですがそうした群れの慣習を逸脱し、群全体に不穏な空気をもたらしたかどで、ジョナサンは群れを追放されてしまいます。

…と、ここまで読むとなんだか、私は夢を見て副業を始めてある程度の結果が出て、副業をしたかどで退職に追い込まれる副業サラリーマンの姿を見ました。

そしてきっと、誰もが周囲の同調圧力に屈しながらも、自分だけは違う、自分はいつか自由を手に入れて大きく羽ばたく時が来るんだ…!と信じて日々耐えている中、ジョナサンのように人とは違っても自分の信念を貫きたい、そう思うのではないでしょうか。

私はこのように感じた人間だからこの視点しか今は持てていませんが、立場や感情が違った人や、深くストーリーを読み込んだ人からすると、また違った解釈や受け取り方があるかもしれません。

そんな深みを感じさせるような、現代社会を風刺する寓話のように感じました。

 

作者の真意はどうあれ、自分に役立てる

物語としての構成やその評価は専門家に任せるとして、読書を通じて成長を目指す私は、この本から一体何を学べるのだろうか、と考えました。

短絡的にコレコレのことがこんな学びになりました、というのはあまりにも浅いのですが、まずこのお話を読んでいる時、なんともいえないほど心を揺さぶられました。

その箇所というのは、かつて教えを受けたジョナサンが、自分がレベルアップした後にかつての自分と同じように群れを追放された若いかもめに対して指導するというところ。

教員やってたからって言うのもあるのかもしれませんが、「ジョナサン、成長したなあ」とおじさんは嬉しくなってしまったのです。

なんのことはない、過去からの英知を次の世代に受け継ぐという当たり前に行われていることですが、これがまたジョナサンの弟子がさらに下の世代へとつないでいくのです。

そしてジョナサンがさらに高い次元へ旅立った時、残された直弟子が指導者として振る舞おうと意識した瞬間に、師が言わんとしていたことを悟るのです。

自分が教員時代にそこまでのことが出来たかは分かりませんが、もしも優秀な元教え子たちが、自分なりにいい部分を受け取って自分の糧として役立て、後輩や自分の子どもへの教育に役立ててくれたとしたら…ということを想像してグッときました。やばいですね。

まあまあ、そんな感動物語と言うわけではないのかもしれませんが、単純な私はそんなふうに受け取ったのでした。

 

読むべき時に手に入れて、読むように出来ている

これまたアヤシイ感じの解釈ですが、この本は私が初めて「ソース」という自分のワクワクを掘り下げていくワークショップを受けた時から、幾度となくファシリテーターからオススメされていた本でした。

この前受講した講座でも、またオススメされ、前年に受講したノートにも「かもめのジョナサンを読め」と走り書きがされていました。

でも私は今に至るまで読んでいません。

そして今回はオススメされた瞬間にAmazonで注文して、帰宅してすぐ読んだのです。

そうしたらこの有様です。まさに我が意を得たり!という感じに感動したわけです。

寓話的なお話の構成ですから、読む人によって本当に解釈が変わってくるのだと思います。

そして刺さるポイントも変わってくるのでしょう。

そんなお話を今読んだからこそ、自ら体得した知識を後進へと伝え、そしてさらに次世代へと繋がれていく、というプロセスに言いようのない衝撃のようなものを感じたのです。

それは、やはり私自身がまだ教育分野への情熱が捨てられないからなのかもしれません。

これを勧められた10年前に読んでいたとしても、もしかしたら今のような印象とは違った感想を持ったのかもしれません。そして当時の自分にとってのなにかのきっかけになったのはもしれませんが、今読んだ、というこの事実にご縁を感じるのもまた事実です。

そんなわけで、人から勧められた本というのは不思議な力を持っているのだなと思うのです。

自分ではまず選ばないから自分から読むことはない、そして人から勧められても自分の価値感にそぐわないから手に取らない。結果、いつまでも読むことがない。

そして、何かのきっかけでその本を読むべきタイミングが訪れた時、なぜかわからないけれど必要な知識や視点が得られるように、そのような本を読むような状況(今回はその場でAmazonで注文)に導かれていると思ってしまうのです。

 

この本をオススメされた理由を考えたら

また、【完成版】で付け加えられたという「Part Four」の、神格化されるジョナサンとそれを盲信せず自分で超高速飛行に挑戦してみる若者、という内容もまた私は刺さったのでした。

いつしか指導者は神格化され、始祖が実践した行為は厳しい訓練を伴うためにそれを拒むものが出てくる。

そしてその始祖の存在自体を崇拝し、何を言ったのか、何をなしたのか、ということを「知る」ことだけに注力し、その教えの肝となる実践を疎かにする。

そんなことが長年の継承のうちに伝統となり、なんだかよくわからない、ありえないような奇跡とかがありがたがられる。

でも歴史は繰り返すもので、始祖と同じような視点を持ち、そして実際に試してみようという若者が現れる。

そして再びその教えが実は実践あるのみで自分にも体得できるものだったと理解していく。

そんな流れに月並みでしょうが痺れてしまいました。

ベタなだけにストレートに分かりやすく、なんだか情熱を掻き立てられるんです。

そういうトンガった感じが大好きなんですね。

何度も何度もかもめのジョナサンをオススメされる理由は、私がトンガった感じが好きで、そして同調圧力に反発し続けている性格が周りにバレていたからかもしれません。

子ども向けのお話でしょ?とバカにせず(私はそれで今まで読まなかったのです…)、ぜひ社会の酸いも甘いも知り尽くしたベテランに読んでみて欲しいなと思います。

きっと若かりし頃の、トンガった、情熱的なアツいハートを思い出すのではないでしょうか。

 

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