道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学 永井均 著

道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

ニーチェ哲学を”真に”受け止めたという本

ニーチェという気難しいらしい19世紀の哲学者の思想を、日本大学教授の永井均氏が解説している本です。

この方の著書は私が学生時代にニーチェにハマった時に読んだ『これがニーチェだ』が最初の出会いでした。

ニーチェってなんかグズな人のグズな状態な時に、世の中を斜に構えてちょっと視点の転換をすることで生きる力が得られるような思想を書いている、という風に認識していたのですが、なんだか厳密に言うとちょっと違うようだ、というのが本書の主張。

この方の書く本はおそらく厳密な意味での哲学的議論を性格に押し進めようという思いから、哲学的訓練を受けていない私のようなにわか哲学ファンにとっては難解な文書を書くという印象を持ってしまっています。

が、なぜまたこの本を読んだのかと言うと、毎月行われている浦和の古本市でたまたま氏の著作を見つけて、そしてニーチェだったので、古い本ながらも唆られてしまいました。

なんだか最近、遠藤周作の人間臭いイエスやキリスト教のお話を読み続けていたせいか、『アンチクリスト』な成分で精神をニュートラルに戻したいなあと思う欲求も働いたのかもしれません。

遠藤氏の作品自体は、いわゆる伝統的であったり正式な組織だったキリスト教の話というよりは個人的な心の内面でどう受け取るかに焦点を当てたものだから、そこまで息苦しいものではありませんでした。

しかしキリスト教分がちょっと濃すぎて偏った思考になってしまいそう、そしてなんだか奉仕とか福祉とかに意識が向いてしまいすぎるなあという感じがしたので、本書を手に取った次第です。

で、本書はやはり厳密に表現しようと心がけているのか一文が長くて難解で、どの述語がどこにかかっているのかで迷子になりがちな本でした。

そしてちょっと反抗的というか挑発的な、ちょっと上から目線の表現が多いのも気になりましたが、これは著者がまだ40代前半の頃に書いたものだということで変な納得をしました。

ニーチェみたいなじゃじゃ馬哲学者を「これが本当にニーチェだ」って言うくらいの人だから、このくらい生意気な感じに書かなくちゃ、と言う気もしてきます(そう言う私も上から目線ですみませんて感じですね)。

ルサンチマンとかニヒリズムとか…

そういうむずかしそうな用語はまあ置いといて、ニーチェは社会的な弱者が価値観の転換を経て弱ければ弱いほど強いという状態を作り出したキリスト教の歴史を指して、なんだか卑しい奴らだなと言う風に言ったのだと解釈しています。

ニーチェのお父さんは牧師さんだったせいか、きっとニーチェは幼少期からミッチリとキリスト教漬けだったに違いないと思うのですが、その反発心でこんな「反キリスト者」みたいな本を書いちゃったのかな?とも思います。

アンチクリストという本を書いてはいますが、その実ニーチェの思想の枠組みだって、価値感の転換を経た弱者が強者に入れ替わるような構造してますよね?と言う風に思うのですね。

この本で私が共感できたのはその部分です。

本書には薄く表面的にだけニーチェを読むと、個人的な人生訓程度しか引き出せないのだ、とか書いてありますが、私はそれで十分なわけです。だって哲学屋ではないのだし。

でも哲学ファンとしてニーチェみたいなエグい思想の持ち主の思想を、しっかり深いところまで理解したいという欲求があるのでこのような本を読んでしまうのです。

そしてこの本を読んで「そうそう、やっぱりすごい先生はそう思うんだ」ってちょっと嬉しくなったのが、上述のキリスト教的強弱の転換のカラクリを、ニーチェ自身も使って「力への意思」とか「超人」の思想へと至っているなあというところ。

ちょっと難解な文章が多くて私の解釈がおかしいところもあるかもしれませんが、ニーチェが拘っている「道徳の系譜」についていえば、その辺りの枠組みが一緒で、強者と弱者が入れ替わり続けているよっていうのが主張の一旦なのかなって思ったりもしました。

専門的に哲学研究やニーチェ研究している人から見たらアホがなんか言ってるよって思うのでしょうけど、私のような生半可な読み手ではこのくらいのうっすーい理解が限界でした。

「ニーチェを読んでる」状態がカッコいいだけ

これは今となっては私も反省しなければならないのですが、大学生当時の私はなんだか難しそうな本を読んでいる自分かっこいいと思うところがありまして。

工学部のくせに、工学系の書籍がさっぱり理解不能で数学嫌いだったせいで、哲学という文書での理解(数式のように厳密に解が出てこないであろうもの)に逃避していたのでした。

当時は私はうつ病て通院していたのもあり時間がたくさんあったので、大学の図書館にあったニーチェ全集を全部読んでみたのです。

その中にはまさに薄っぺらな理解として指摘される「死をもたらすもの以外は全て糧」みたいな格言があってそれを元に次第に私が元気になっていったのですが、そういう実利的な面がある一方で、やはり自己肯定感を高める要素もあったのです。

難しくて訳がわからないほどに自分はなんか「すごい思想に触れている」感があり、特にニーチェっていうと正統からちょっと外れた思想のような感じがして、厨二病患者にとってもかなり美味しい人物だったのでした。

そんなこんなで私がニーチェを読んでいて、そのご縁で今回もつい、ニーチェの思想を永井均氏が解説している、という二点から即買いして読んだのです。

そしてやっぱり読後感として感じたのは、「ニーチェの思想は解説者により主張が違う」ということと、永井均氏の本は文章が長くてわかりにくい、というものでした。

この手の本を読んでて思うのが、実は私自身はそこまで哲学とか好きじゃないんじゃないか?ってことです。

この永井氏くらいに厳密に文章を長々と書いて記述しなければならないのであれば、それは私はちょっと嫌なので、そういうことなら哲学もちょっと嫌なんだろう、という訳です。

いつか哲学の専門的訓練を受けたい、つまり大学で学び直したいって思っているけど飛び込めずに別の学部に入ってしまうのも、そういう難しそうで無理かもしれないという恐れなのでしょうね。

それと哲学科が醸し出す(私の勘違い?)排他的な雰囲気でしょうかね。

社会人になってから学び直そうと入った日本大学の哲学科教授が永井氏だというのも、私が二の足を踏んで経済学部で教員免許を取った遠因かもしれません。そうなのか?