私の読書法 大内兵衛 茅誠司 他

私の読書法 (岩波新書 青版 397)
岩波新書(青版)397
1960年10月20日 第一刷発行
2016年10月20日 第46刷発行

著者 大内 兵衛 茅 誠司 他
発行者 岡本 厚
発行所 株式会社 岩波文庫
ISBN 4-00-415088-4

”一流人”たちの読書の流儀

この本は1960年時点での”社会科学者、自然科学者、作家など、広く現代の知識人に、その個性豊かな「読書法」を語って”頂いたものをまとめた本とのこと。

個性的(個人的とも言えそう)な読書法をコラムのような形で交代交代連載し、それを1冊の本にしたものが本書となります。

今や個人が好き勝手に読書論的なものを世界に向けて語れる状態にありますが、そういった現在の視点から対比して本書の存在を眺めてみると、時代の変化や一流と言われる人の読書へのこだわり、文章表現の妙などを感じられる本です。

今更読書論かよ?と思う方も多いかもしれませんが、かつて言論の発信へのハードルが高かった頃の文章表現や読書論と呼ぶべきものを知るには大変に有用な一冊でしょう。

そして自己流の読書法でこれまで生きてきた自称読書家の人々にとっても、この本との出会いがもしかしたら新しいご自身の読書スタイルの確立に寄与することもあるかもしれません。

一流人の読書法とは?巨人の肩に乗る方法を知る

この本を購入して読みたいと思ったのは、すでに一流と言われ、「知の巨人」へと自身が到達した人たちが、どのように更なる先輩巨人の肩に乗って知識を得、血肉としたのかを知りたいと思ったためです。

かの有名なニュートンが、先人たちの積み上げた実績を踏まえて更なる先に進むことを「巨人の肩に乗る」と表現したように、この本はかつて何者でもなかった時代に巨人の肩に乗り、そして一流となった人たちのノウハウが満載なはずです。

実際に一流の知識人と言われ、岩波文庫から「読書法」を発行するにたる人物と表されるほどになっているわけで、その人たちの知の源泉たる読書法を知ることで、まだ何者でもない私たちでも「巨人の肩に乗る」ことができるのではないかと思うわけです。

また、読書家であると自負していることもあり、さまざまな「読書法」「読書論」とも言うべきものを知り、自分の人生の糧を得る上での参考にしたいとも考えての購入でした。

そしてその期待はある意味で満たされ、またある意味では裏切られたというのが、本書を通読しての正直な印象でした。

『「私の」読書法』のタイトルの妙

そんなわけで読み始めた『私の読書法』ですが、なんだか偉い先生だか実績のある知識人という、すごそうな人が語る読書法なわけです。

そこに権威性を否が応にも感じ、なんだかすごいことを語っているに違いない、そういうフィルターを自分にも感じていました。

そしてその権威性を裏付けるような内容、例えば杉浦明平氏の「一月・一万ページ」を自らに課している、そして読む本が論文などの読み応えのある本で、雑誌はカウントしない、等の記述があります。

また、本書の著者が戦前・戦中を学生として過ごした経験が共通しているのですが、そもそも旧制中学とか高等学校に行っている時点でエリート階層なのだという、越えられない壁を勝手に感じたりしました。

さすが偉い先生は違う。仕事で必要とは言え読むもののジャンルが最先端でハイレベルだ!とそんなふうにも感じている、そこが期待どおりというか、凡人とは違う世界なんだなあという諦めにも似た安堵を感じました。

一方では上述の杉浦氏のエピソードで、新聞紙を畳に敷いて眠る(睡眠中の汗や脂を目の当たりにして新聞を敷いて寝転がるようになったそうな)ことにしてから、読書は座って行うように習慣づけられたというものは、妙な親近感を感じたりするのです。

読書家と自負する人々は、きっと多くの読書体験をする中で、その姿勢の試行錯誤も膨大な経験を有するものと察します。

私自身も座って読んだり寝転がって読んだり、果ては眠らないように立って読んだりと色々試してきました。

そんな自分自身の経験と、この本の著者たちの試行錯誤やいかに楽をして読むか、またはいかに自分は偉い先生方(各著者の恩師たち)とは違って凡夫なのか、ということを繰り返し繰り返し記述されています。

表現方法に時代を感じると言うか、戦後の自由さを感じつつも戦前戦中の漢文じみた文語体の雰囲気も残っているような、この時代特有の美しさすらも感じられる文章です。

型式張った文章ではなくコラムで連載というところが、このような砕けた、だけれども書き手自身の格式の高さを滲ませるような文章になっているのでは、と思わせる雰囲気です。

同じ日本語なのに時代背景によってここまで雰囲気が変わるものか、と改めて感じるところもある、そんな一冊です。

独特の味わいがある本

先述の権威性を感じる部分の記述(大抵は章の前半部分なので、始めは”ちゃんと”書こうとしたのか?)と、ここで触れている親近感を感じる凡人であるという主張が、うまくバランスしてこの本独特の魅力を纏わせているように感じるのです。

まだ何者でもない頃の自分の、その重要な知的活動である「読書」に関して、そのごく個人的な行為を行う内的心情を記述してくれているこの本、正直言ってかなり心に刺さってきたのです。

「一流の知識人」に親近感を持ったからと言って自分もそのようになれる、というわけではないのですが、今はどんなに立派な一流人であっても、そのスタート時点(学生時代とか若手時代)ではやっぱり自分と似たような普通の人間なのだと確認ができます。

この権威性と親近感といういわば相反する要素が巧みにバランスされているところ、そして読み手を飽きさせない記述の巧さ、こういうところに「知の巨人」たる偉大さが滲み出てくるのでありましょう。

そんな独特な味を持った本ですが、若い時に読んだ方がいいんだけどある程度人生経験を積んでからも読むのが面白いんじゃないかなあと思います。

あまりに若いうちに読むと、その裏にある味わいがちょっと理解しにくいかな、そんなふうに感じる本でした。さすが岩波さんです。

まとめ

1960年という、今となっては戦後まもない時代とも言えるような時に書かれた「読書論」。

戦前・戦中に学生として過ごし、苦学したであろう知識人たちが記述する読書論、知識の獲得に向けた知恵とも言える方法を記述した本書は、今の便利っで生ぬるい世の中から振り返れば、まさに知のサバイバルを感じさせるものでした。

読み手の私自身もある程度の人生経験を積み、多少はその人生に深みを持ち始めたからこそ、このような内容の本を味わうことができるのではなかろうかと感じるところもありました。

よくある「読書法」のように、ノウハウ集として活用するよりは、一つの文芸作品というか、同じテーマについて異なる知識人が書いたコラム集として楽しむことが本書の存在意義でもあるのかなと思います。

もちろん、ノウハウ集として活用することもできるでしょう。

中には「独学法」とも言える知識定着の工夫にも言及されています。

しかし本書を通読して感じたのは、どの筆者も読書を楽しみながら行っているということ。

一月一万ページ読むことを義務として課している筆者もおりましたが、それは楽しみだけで興味の幅を広げると収集がつかなくなるからであり、その縛りの中でのジャンル分けをするために縛りを加えているとわかります。

結局自分が効率よく本の世界を味わい、楽しむための工夫であるとも言えるのです。

本書を読んでいて感じたのは、そうした読書が本来の自由さ、それを思い出させてくれたことと、それを意識してこれからも読書をしていこうということです。

この本の時代と現在の異なることは、なんでもない一般人でも本書のような「私の読書法」を発信できることであり、それが収入に繋がりうる時代になっていることです。

そのために本来自由であるはずの読書が、より儲かる本やテーマへ、そしてより閲覧者が得られる表現へと歪んでしまうことがあります(SEO対策など)。

元々が儲けや収入増を目指した媒体や企業のPRサイトならばそれでもいいかもしれませんが、私のように趣味の読書を記録するために始めたり、単に自分が読んで感動した本を紹介したいがために始めたブログだったとしたら、それはとても苦しいことになりかねません。

便利な時代に進化した分、そうした自己を律する強さも、自分自身で確立していくことが大切なのだなあという反省も、本書を読むことで得られた教訓です。

かなり古い(半世紀以上も前)岩波文庫の新書ですが、この小さな本が時代を越えて私たちに影響を与えることに思いを馳せること、そういうところにも読書の自由さ、時空を超えた人間の思考の自由さを感じずには居れません。