穀物文化の起源 家永泰光 著

穀物文化の起源 (作物・食物文化選書 (1))

低糖質生活を通じて「穀物文化」を見直した

この本は昭和57年に出版されたかなり古い本なのですが、なぜ今この本を読んだのかというと、ライザップに通って低糖質生活をしている中で穀物の摂取が激減したことがあったから、という理由があります。

私は元々白いご飯が大好きで、ご飯さえ炊いておけばおかずは納豆とかツナ缶など適当なもので済ませられるという食生活を続けていました(だから太りました)。

そんな太りやすい食物である米を始めとした穀物ですが、これがなければ飢えが襲ってくるかもしれない、という潜在的な怖れがあるように感じていました。

ライザップ開始時には、それこそもう二度と白いご飯やおいしいトーストとかは食べることはないのだ…という決死の覚悟で臨んだものです(実際には代謝を上げて、食事量や内容をコントールすれば食べられます)。

現実的に穀物が食べられないからと言って餓死するようなことはほぼない現代社会にはなっているのですが、なんだか心の底の本能的な”飢え”への怖れ、それが「穀物」の存在に大きく左右されているかもしれない…と感じたのです。

人類の発展には欠かせなかった穀物

糖質の比率が高く、耕作地の単位面積あたりから収穫されるカロリー量も多い穀物、特に米ですが、これは人類がここまで発展してくるためには必須の食物だったといえます。

この本では、なぜ今、活用されている穀物がお米や小麦と言った限られた品種となっているのかという栽培穀物選定の考察や、光合成能力が弱く人間が手を加えなければ育つことができないような品種をわざわざ使っている理由などについて掘り下げていきます。

また、お米や小麦が主要な作物として大規模に用いられる以前に使われていた、いわゆる雑穀と呼ばれる穀物との比較、さらには作物を効率よく育てるための知識の蓄積として、雑草の助教方法や、その方法としての水田を用いた方法、または焼畑農法の解説があります。

穀物の種類ごとの食味や栄養価などの人間に取ってのメリットと、植物自体の性質(光合成の能力が高い種別とそうでない種別の違いなど。主要穀物の米や麦は光合成の能力が弱い部類に含まれる)を比較し、今の作物を用いるだけの理由をも解明していきます。

経験知として蓄積されてきた農業として残っているのが現在使われている作物であり、そして農法であるといえます。

そして現在用いられている作物に絞り込まれたは、文字が登場するはるか昔の時点ということもわかってきています。

かなり昔の時点で、その蓄積され積み上げられた経験知というのがかなりのレベルに達していたのではないかと思わせるような事実です。

味や栄養は、主観的にとても大切な要素だっただろうし、おいしいお米が作れる人はきっと尊敬されて権力を握ったりもしたかもしれません。

この本は農業の本ではあるのですが、「穀物文化」について注目して探究を深めている本ですから、そうした歴史的な背景などにも考えが広がるような解説の展開となっています。

穀物文化の中の発酵食品

この本では、穀物文化のなかの要素として「発酵」についても触れている箇所があります。

別の本で漬物について調べたことがあるのですが、この本でも「すし」の起源は魚や動物を保存するための漬物だった、という見方を紹介しています。

すしの原型に近いものとしては、琵琶湖の鮒を使った熟鮓(なれずし)というものがあり、これは現在のすしのようにご飯を食べずに、これによって発行を進めるようになっています。

この熟鮓で使われるご飯は発酵する材料ですから、酸っぱくなります。

その後、その酸っぱいご飯も食べるようになって、魚も新鮮なものを使うようになって、生のままご飯に載せて食べるようになって…現在のお寿司に進化してきた、と想像ができます。

酢飯も元々はご飯自体が発酵して酸っぱくなっていたものが、現在では穀物酢を使って、いきなり酸っぱく味付けしている、というところが興味深いですね。

こうした発行のノウハウが伝播する過程と共に、穀物の利用品種の系統も各地へと伝わっていったともいえます。

土地の風土と植物の性質が合致して初めてそこに根付くものでもありますが、この本で考察している穀物文化を歴史の視点として設定すると、各地でその土地に合った形で残っていることがわかります。

お酒の醸造方法(大きく3つに分けられる)も、穀物の大部分を占める糖質を分解してアルコールする過程ですから、穀物文化の1つとして記述されています。

この本はとても学術的に正確な記述を心がけているような体裁なので、ぱっと見堅苦しい雰囲気がしているのですが、取り扱う内容がお米や小麦、すし、お酒と言った食物なので、読みながらとてもお腹が空いてくる、とても稀有な本だったという印象が残りました。

糖質を抜くことで見えてきた食物の基本

現在の一般的な食事といえば、日本食ではごはん、みそ汁、おかず、つけもの、と言ったパターンが多いかと思いますが、それ以外で外食をするとほぼ炭水化物だらけということが多くはないでしょうか。

炭水化物、つまりは糖質と食物繊維の合わさったものですが、これを食べると即エネルギーになるため血糖値が急上昇して幸福感を感じます。

その後、反動で血糖値が急減して、イライラしたり強烈な眠気が出たりと、気分も乱高下してしまうようになります。

穀物がここまで大切に、人類の主要な食物としての地位を確立したのは、もしかしたらそうした性質も関わっているのかもしれません。

一方で穀物を断つ、かなり厳し目の低糖質習慣を始めると、そうした血糖値の乱高下が起きず、エネルギー源も脂肪やタンパク質といったものから得られるように体が変わってきます。

そして人体は、農耕を始めるまでの数百万年の間は、穀物ではないものをその時その時で食べられるものを食べてきました。

だから穀物を食べない生活で、いろいろなものを満遍なく食べることの方が体が調子よくなるような実感が湧いてきます(私の個人的な感覚)。

穀物はエネルギー効率がよく、力を出したい時にはもちろん食べるのが有効です。

しかしそうしたちょっと立ち止まる気持ちをもたずに穀物を食べていると、おいしい上に血糖値も簡単に上がるものだから、脳がもっとほしいと要求するようになってきます。

すると糖質を絶えず求める意識となり、どんどん太ってしまうということになります。

今回、たまたまライザップを受けている町で古本市があり、そこで目にして手に入れた本書なのですが、自分の体を使って糖質を断ち、その状態で人類にとって最重要作物である穀物に関する歴史を学んだことは、なんだか不思議なご縁のようなものを感じました。

昔の狩猟採取生活のときのように、穀物中心ではない、いろいろな果実や野菜、肉、魚を満遍なく少しずつ食べ、穀物一極集中の依存状態を脱することで、世界の食糧問題も軽減されるのではないかなあと思うのです。

端的にいえば先進国と言われている国の人たちは穀物を食べ過ぎな上に捨てすぎです。

もっといろいろなものを少しずつにすれば、食べきれない分は保存もできるし他の人へ回すこともできるようになります。

糖質に脳を支配された状態から、自分の意思で食物を選び、健康にもなるし食糧問題も解決するような世界になるように、このような本の知識が広まり、みんな筋トレしつつ低糖質ダイエットに目覚めてくれたら素敵だなと思うのです。