「遊ぶ」が勝ち 為末大 著

新装版 「遊ぶ」が勝ち (中公新書ラクレ)

なんでも「遊び」扱いにできれば無敵

この本は400mハードル日本記録保持者でオリンピックにも3大会連続で出場した為末大氏による、生き方の哲学とも受け取れる内容の本です。

遊びのクリエイティブな面を捉え、主体的に取り組み遊びながら楽しみながら、自然に創意工夫をしてく事で圧倒的なパフォーマンスも発揮できるようになりうるという視点で書かれています。

それなりに人生経験を積んでいると、真面目一辺倒だけじゃ突破できない壁というのもあったりするんですが、そんな時にフッと力を抜いて自然体に戻った時に、突破口となるアイデアや方策が生まれたりするのです。

本書はそういった「フッと力が抜ける」ような状態、自然体である状態を「遊び」の中に見出して、遊ぶことが勝ちなんだ、遊べたらそこでもう勝ったようなものだ、ここからあなたは素晴らしいパフォーマンスをみせる!というような意図を感じます。

本書を読まれた方のなかにも、遊んでいるかのような状態のときこそ、クリエイティブかつ楽しめて、もっともっとよくするにはどうすればいいのか?などと無意識に考えてしまうという記憶があったりするかもしれません。

為末大という圧倒的な結果を出した人物が、その頂点へ至った時の経験をも踏まえて語る「遊び」の大切さは、私たち凡人でも思わぬ力を発揮するための一つの方法を提示し、そして圧倒的な納得感を伴って理解することができるでしょう。

『ホモ・ルーデンス』という本がヒントになった

オランダの歴史学者であるヨハン・ホイジンガという人が書いた『ホモ・ルーデンス』という本があります。

この本は、人類は遊びを元に進化してきたという論点で人類の進化を説明している学術的な本なのですが、為末氏がアスリート時代にスランプに陥った時、この本の視点である「遊び」がクリエイティブさを引き出す要素がヒントになったと紹介しています。

「ホモ・ルーデンス」とは遊ぶ人という意味で、まさに人類は遊びの中の創意工夫や競いあったりする要素、そして遊びであるがゆえの楽しさや熱中する点など、私たちの行動を振り返っても思い当たる遊びの要素が進化を後押ししたことが詳細に語られています。

人はそもそも自主性があってこそ創造的でいられ、そして自分でも予想し得なかったほどの高みまで至ることがしばしなあります。

本書でも、スポーツや人格形成上における「遊び」の要素がいかに重要であるかが、その根拠となるエピソードと共に記述されており、豊かな人生を送るためにも役立ちうるのが遊びの視点であると納得せざるを得ない展開となっています。

行き詰まったら「遊び」を思い出す

本書を読んでの私の所感なのですが、今の学校教育や会社での指導では、いまだに「遊びなど持っての他」という視点が根強いなあと感じています。

そしてそうした視点が根強いのは、今指導者層にいる40代以上の世代が、さらに上の世代から我慢を強いられるような指導を受け、それを乗り越えてきたからともいえます。

ネットなどでいろいろな情報が手に入る私たちにとっては、もうこの人たちのやることは「意地悪してるのか?」と勘ぐりたくなるほどの理不尽さを感じますが、それは意地悪とも限らず、それしか指導方法を知らない、という点に集約されてきます。

そうした上の世代と下の世代の境界にいるような世代が、1980年代生まれと言われます。

この年代の人たちは、少しだけ景気の良い日本を知っていたり、デジタル機器も若いうちから触り始めているので、自主的に動くことを知っていたり、自分で必要な情報をある程度は集めることができる世代です。

もちろん上の世代でも情報リテラシーが高い人もいますが、乱暴にざっくり分けてしまうと、根性のあった人ほど昔のやり方を耐え抜いてきたという自負があり、新しいものへの抵抗がつようようにも見えています。

そのような影響からざっくりと世代を分けて考えてみたのですが、やはり私もかつての仕事である教員として、生徒や保護者と接する中でも確信が強まっていきました。

私自身、体感的に「遊び」の視点に近いような「好きな事に集中して取り組む」ということを念頭において教員時代には指導を心がけていました。

そして好きなことを入口にすると、それは当事者自身にとっては「遊び」の要素を多分に含んでおり、従来の強制的な指導では見出せなかった本人の才能とも言える素晴らしい能力が花開くこともしばしばありました。

自分自身も仕事に遊びの要素を取り入れることで、楽しく創造的に仕事を進めることができたり、自分がどうしても苦手なことは、それが苦にならない同僚に任せたりということもできました。

これが真面目に「自分の仕事は自分でやるべき」、「苦しみに耐えることが給料の対価」などという苦しい旧来の価値感のままだったら、それこそ仕事の質は必要最低限となり、もちろん楽しくないので精神を病みます。

職場の経営者(60代の男性)が、モロに苦しくて辛い気合だけで乗り越える世代だったため、楽しそうに仕事をしていると「遊んでいる」と叱られたものです。

しかし私たちは「遊んで(=仕事して)」いるわけです。

そうなると世代間のギャップというか、価値観が違いすぎるので、私自身はおろか部下たちも精神を病み始め、結果的に退職する事になってしまいました。

こうした経験を踏まえて本書を読んでいくと、「遊び」という従来は仕事に取り入れることがタブーとされていた要素を仕事や教育の現場に取り入れていく事によって、これからの知識社会では成果を出すためには必須だと思い至る事になります。

この「遊び」の要素を取り入れる事で遭難者が助かったりとか、Googleの人事制度にも取り入れられたりといった実益も積み上げられてきています。

私は旧来の凝り固まった価値観が息苦しくて会社を辞めましたが、もうすぐ社会全体が「遊び」というか「楽しみ」ながらいろいろなことをやるという時代に変わってくると、旧来の価値観にしがみついている組織は淘汰されてくのだろうなと思っています。

だって、周りがみんな楽しく遊んでいるのに、そこだけ気合いの強制労働じゃ、だれも働こうなんて思わなじゃないですか。

一刻も早く「遊び」こそが正しいとされる価値観が優勢となりますように。

私もそんな社会に一刻も早く変わっていけるよう、毎日楽しいことをしながら人々の役に立てる方法を考え、試していきたいと思います。