破戒 島崎藤村 著

破戒 ─まんがで読破─

みんな知っているけど中身は知らない小説

「まんがで読破」シリーズ、実はちょっと小馬鹿にしていましたが、今回『破戒』を「まんがで読破」シリーズで読んだことによって、こんな話だったのかという納得感がとても深く得られました。

まんがは絵がメインでセリフくらいしか文字がないのですが、登場人物の表情やその描き方などの、非言語表現の部分が非常に大きく伝達要素の比率を占めているのだと改めて実感。

これまでまんが作品は多く読んできましたが、それらは原作がそもそもまんがだったために、あえてまんが化することによる右脳的理解を実感できていなかっただけかもしれません。

まんがって漫然と読んでいるうちにどんどん引き込まれていくんですが、それは作品の面白さ、素晴らしさももちろんあるのですが、私が今回実感した右脳的な認識というのが、人間が人物について認識する自然状態に近いから、という感想を得ました。

小説のように文字によって情景を細かく表現し、読者側がその人生経験によって各々異なった情景を思い浮かべるものは、それなりにイメージの材料となる経験が必要です。

ですから物語の世界観があまりにも自分とかけ離れたものになってしまうと、その物語への没入度が浅くなってしまいがちです。

そのせいでこれまで「名作」とされたり、歴史的に意義深い作品について読んでみても、イマイチその素晴らしさが理解できないということが多くありました。

小中学校での読書感想文で名作を読んで感想を書くのが難しい、とはそういうことなのかもしれません。

私も30歳を越えるあたりから、いわゆる名作とされる小説や古典と言われる作品の面白さが少しずつわかってきた、という実感がありました。

そういう人生経験の蓄積も手伝い、そして本書のようなまんが化に際しての、おそらく原作の世界観を十分に表現できているであろう描写から、この作品がとんでもないくらいの衝撃を私に感じさせたのだろうと考察させられます。

肝心の内容は…

「まんがで読破」シリーズの良いところは、まんがは右脳的理解で進むため、時間がかからないというところです。

イメージがそのまま絵になっているので、そのままそのとおりに受け取ればOKです。

そのため時間がかからず、そしてあたかも自分が主人公と同じような体験をしているかのような錯覚とともに物語の世界観に没入できます。

本書もそのように没入でき、そして主人公が教員であるということ(私もかつて教員でしたので親近感があった)などの要素(個人差もありますが)によって、非常に強く共感してしまう作品であったということができます。

歴史的な名作ですから、その話の内容を知っている方も大勢おられると思いますが、まだ読まれていない方にも是非読んでみて欲しいので、あえて内容には触れないでおきます。

ですが、このテーマの本を今の時代に読み返すことの意義は、周囲の多数派に飲み込まれて自分の信念や立場、本音などを隠し通して、無難に生きていくことの苦しさや、それを乗り越えてカミングアウトして闘うと決意するためのきっかけや勇気、意義深さなんかを考えさせられます。

こんな個人の薄っぺらな人生観と比較されては、本書のテーマとなった元の人たちには非常に申し訳ないというか畏れ多いのですが、私個人が学び取った要素としてはこんな感じです。

時間の試練を超えた古典の凄み

名著と言われる作品は時間の試練を乗り越えて、それでもなお人々に読み継がれている物語です。

そしてこの本の話は、つい100年ちょっと前、もしかしたら当時生きていた人と同じ時代に私も生きていた、人生が交差したかもしれない世代の話です。

そんなつい最近まで、このような差別が公然となされていたことにショックを受けつつも、こうしたテーマを扱いそれが長く読み継がれてきたということにも、言い知れぬ感動を感じます。

今読んでもなんともいえない熱いものが湧き上がる感じがするのに、この時代、まさにこの本で書かれている当事者の方々が読んだらその思いはどれほどのものになったか。

それは強烈な、社会をも変えうる大きな力となったのだろうと想像できます。

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