沈黙 遠藤周作 著

宗教・思想・哲学


沈黙 (新潮文庫)

人のあり方とは、を考えさせられる本

ホリエモンが刑務所の中で読んで印象深かったということで、彼の著作で紹介されていた本。

彼の著作を読んでいた時には、ホリエモンという人物はかなりの実利主義者と思っていたので
小説を読むのかと少々驚いた記憶があります。

実利や効率を最優先する人が読んで「よかった」と紹介するくらいだから、この小説には
きっと仕事をする上で役立つものがあるに違いないと思って買うことにしました。

読んだ結果、仕事というよりかは生きることや信じるものがある強さ、または本当に信じる
とはどういうことなのかをかなり厳しめに突きつけてくる衝撃を受けました。
さすが有名な作家が書いた小説よね。

私程度の語彙が少ない一般人が読んだ感想を表現するにはおこがましいほどの衝撃。

キリスト教徒でもないのに、棄教を迫られたりする身を裂くような切なさとか、信頼して
いた人の裏切り…のように見えて実は真の信仰を自分の中では確立しているとか、そういう
鳥肌が立ってしまうほどの影響力を持っています。

しかし名作あるあるですが、字の大きなビジネス書に慣れてしまって鈍った目には、読み通す
こと自体が結構な苦行になりうるものでした。

話が面白くてどんどん引き込まれていくだけに、読んでいると体の方が先に悲鳴をあげる、
そんな恐ろしき一冊であります。

 

江戸時代初期の隠れキリシタンの話

ざっと何が書いてあるのかをお伝えすると、この話は戦国時代が終わり徳川の治世が始まって
まだ数十年しか経っていない時代のお話し。
だから結構エグい感じです。人が簡単に死ぬ。しかもかなり惨いやり方で。

それはそうと、私のような特に宗教を進行していない人が多い日本人側の視点ではなく、
宣教師として日本にやってくるキリスト教会側の視点で描かれているところがまず秀逸です。

ある程度、歴史背景を(日本側としての)知っていると、何がどうなっているのかが比較的、
理解しやすいとは思いますが、それ抜きにしても(やや語弊がありますが)楽しめる内容。

結構な数の本を読んできたと自負していますが、この『沈黙』ほどに引き込まれた上に、
あと引く読後感を得た小説はこれまでにないのではないかと思うほどのものでした。

思わず『聖書』『キリストにならう』を引っ張り出して読み直すほどです。
なんでこんなの持っているんだ、って話ですね。

西洋の歴史を理解するには聖書やキリスト教の信仰について知っていないと、説明の背景が
理解できないと言われているため持っておりました。
そんなわけで信仰はないですが知識としてのキリスト教は知っていました。

「にわか」なわけです。が、にわかであっても、教会組織が自己保身に走り、真の信仰とは、
という視点をいつしか見失ってしまっているのではないのか?という問題提起にも感じられ、
本書の結末を受入れるなら、私(にわかキリスト者)でも真の信仰にたどり着くのでは?
とか思ってしまうんですな、これが。

何が言いたいかっていうと、まさににわか状態でも、直接的には決して言わない「愛」の
実践について、なるほどこういうことかな?という理解が自分なりにできそうだ、と
いう境地にたどり着けそうな気になる一冊なのです。

 

 

親鸞とかキリストって似てそう

仏教のお坊さんで親鸞と言う人がいます。

この方の〈悪人正機説〉は、「普通の信心のある人は救われるけど、それよりも悪人だから
こそ救われる」的なものと理解しているんですが、この思想とキリスト教的な救済に関する
思想がすんごく似ているなあと思うのです。

このあとも遠藤周作祭りが私の中で繰り広げられているのですが、『死海のほとり』という
小説を読み進めていくと、イエスという男が何ひとつなすことができない失敗だけの人として
描かれています。

ただし彼がしたことは、不治の病や高齢者など、家族にも見捨てられた人にこそ寄り添って、
「愛」の実践を行っていたのです。

これによって回復する人もいて、その現場を目撃もしくは当事者として体験した人が、勝手に
奇蹟を起こしたと思い込んでついていく、というお話(厳密にはそういうことが過去にありま
した、というお話し)。

この時の「愛」の実践の様子が、まさに悪人正機説に通じているなあ、ということと、本作
(『沈黙』)でも、自ら進んで奇蹟を起こすとか救ってあげるということでなないんだ、と
言うことを、そう言わずに伝えているのがすごい。鳥肌が立つほどすごい。

『沈黙』というタイトルがまたゾッとするほどすごい。

ああそうだよね、沈黙こそが信仰よね、神は常に共にある、それだけよねーって思います。

信者でもないのにそう思います。知識だけの聖書読みですが、この誰にでも理解しうること、
そして望むなら誰にでも(社会的に爪弾きにされている人こそ)門戸が開かれているという
この宗教の特徴によって、爆発的に世界に広がったのだなあと勝手に関心いたしました。

 

まとめるところ

冒頭では若き宣教師たる主人公たちが、キリスト教を禁止した日本という国へ残された信徒の
心の灯台とならんと旅立ちます。

また、かつての師匠が棄教したという情報の確認も目的でした。そして情報通りに変わり果て
た姿を見て絶望します。しかし…
信仰とは形ではなくて心のありようなんだな、ということです。

今の自分の生活に応用するとすれば、心の中に確固たる信念(信仰にも似たもの)を持つ事。
そしてその信念は見た目や生き方のスタイル、所属する組織には関係しないという事。

真の目的を達成するためには、自分の心の信念をしっかり持ち続けるという事でしょうか。

キリスト教が題材になってるため聖書読んだりいろいろしましたけど、自分の知りうる領域を
超越した存在が、具体的なことはなにもしてくれないとしても、「ただ共に在る」だけで、
強くなれるんだなあっていうのがよーくわかります。

それが神様なのか、自分の信念なのかはひとそれぞれですが、信じる力っていうのは本当に
人間の存在を超越しうるのではないかと思うのでした。

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