厚黒学 李宗吾 著

厚黒学 李宗吾 著 尾鷲卓彦 訳

伝統的儒教的価値観をぶっ壊した天下の奇書

世の中の倫理や社会規範がなぜ存在するのか?を考えた時、
それは社会活動を円滑に進めるためである、と答えることができます。

しかしそれは、社会規範がなければ人は欲望のままに活動し、欲しいものや望ましい状態を、
脇目も振らずに手に入れようとします。

そのため、社会規範に従っている時には追うことのなかった様々な損害や不利益を被る
リスクが生まれます。

このリスクと欲望を我慢することを天秤にかけた時、「人は我慢する=規範に従う」ことの
方がコストが低いと判断し、集団(社会)の中の同意事項として自らを規制しました。

それが後に社会的な規範となり、暗黙のうちに守るべきルールは社会規範や慣習として、
また明文化されたものは法律などとして定着していきます。

しかしそうした規範というのは、本来持っている欲望を押さえつけて、集団の利益を
最大化しようとするものです。

そのため抑圧されたり、思い通りの結果が得られないということも甘んじて受け入れなければ
なりません。

さらには周囲の目や”空気感”というものを察知し、
世間体や周囲の目を察することすらします。

本書では、そうした慣習や規範を守るのはもちろんですが、空気感や世間体の縛りを
逆手に取り、厚かましく、かつ腹黒く生きることで社会的成功を手にするための指南書です。

この「厚かましく、腹黒く」というのは、中国の歴史上の人物にも備わっていた性質です。

清廉潔白であるとか単に厚かましいだけ、腹黒さだけはピカイチ、という人物は最終的な
勝者にはなれていません。

「厚かましさ」「腹黒さ」を兼ね備えた人物こそが最終的な勝者となるのです。
これは歴史が証明している揺るぎない事実なのです。

厚かましく、かつ腹黒く生きよ

厚黒学には三歩の工夫がある、すなわち第一歩は「厚きこと城壁のごとく、黒きこと石炭のごとし」。第二歩は「厚くてしかも硬く、黒くてしかも光る」。第三歩は「厚くてしかも形なく、黒くてしかも色なし」。

本書の教え、「厚黒学」の3段階の説明です。第三歩の「厚くてしかも形なく、黒くてしかも
色なし」の境地にまで至らなければ、中途半端な厚黒となりただのイヤな奴になってしまう…
そういう忠告もしています。

確かに厚かましくて腹黒いヤツがそれとわかるような態度を取っていては、ただのイヤなヤツ
でしかありません。

本書で説いているのは、そうした「こんな人にはなりたくないが、こんな人じゃなきゃ成功が
できない」という状態を、とことん突き詰めて他の追随を許さない境地にまで至れ、という事
に尽きます。

中途半端な例として、二十世紀初頭の日本に対するものが挙げられています。

当時の中国から見たら、日本は自国内に占領地を持つ、外患と言える存在です。

他国の土地を占領するという「厚かましさ」を実行している日本だが、その日本の”厚黒”は
中途半端なものであると断じています。

やるならもっと徹底的に…という話の進め方も秀逸ですが、本文のあらゆる箇所に、
「厚かましさ」「腹黒さ」が感じられる表現に遊び心を見出します。

論語や老子などの体裁を真似ているのか、会話などのエピソードや例え話を駆使して教えを
説いていくというスタイルです。

しかしその文体は「厚黒式文体である」と言い切ってしまったりと、そもそも本書の文体が
厚黒学を体現している事になります。

そして著者が言うように徹底的に厚かましく、そして腹黒くあれば、そこに嫌味ったらしさ
は感じられず、親しみのような好意さえ抱いてしまうのが不思議な感覚です。

読後感、感想など

本書は「厚黒学」と言う処世術を世に広めるために書かれた本、と言えます。

それまでに中国をはじめアジア各国で読み継がれてきたであろう論語などの表現方法や文体を
模倣して書かれているようにも見える形ではありますが、実はそうではなく、四書五経のよう
な難しい言葉で権威づけしようとせず、明確に読み取れて、かつ誰でも実践できるように書か
れているのが本書であり、すなわち「厚黒式文体」だ、と言います。

長い歴史を経て、時の試練をかい潜ってきた歴史的名著に対して、それとは違って本書こそが
本物の処世術であり、これからの世の中を渡って行くのに必要なものだと言い切れる事。

こうした姿勢、思い切りのよさや圧倒的な自信が感じられるような表現が可能になる事こそが
「厚黒学」の真髄なのだろうと感じられました。

歴史的な有名人である三国志の登場人物(鉄面皮で有名な劉備など)などの活躍した人物の
特徴と、この本で説かれている考え方を元にした最終勝者の特徴を比較すれば、この教えが
本当に真の成功を得るためには必要不可欠な法則ですらある、と言う認識に至ります。

一見すると「厚かましく」かつ「腹黒い」状態というのは、周囲から顰蹙を買うようなものと
思われがちですが、実はそれは中途半端な厚黒であるが故のものと理解できます。

本書が説く厚黒の第三歩「厚くてしかも形なく、黒くてしかも色なし」にまで至ることで
突き抜けてしまい、もはや他の追随を許さないところまで来てしまえば、他者からの妬みも
届かない高みへと到達できるのだということです。

誰でもできるが「学」として昇華させるには、「厚黒」の才能が必要かもしれない。

それほどまでに厚かましさと腹黒さは高度な、人間が生きる上で身につけるべき必須の要素
なのかもしれません。

何よりこれを実行し始めるには、かなりの度胸を要することは想像に難くありません。

個人的な見解

欧米では自己主張することが当たり前、という価値観があります。

そんな彼らは厚かましさのお手本のような文化と言えそうですが、彼らには我々から見た、
厚かましさは十分にあっても「腹黒さ」というものは理解しにくいにではと思います。

その点では、空気を察する文化が以上に発達した日本では、国民全員が「腹黒い」と言っても
過言ではなく、建前と本音を巧妙に使い分けています。

それが求められる社会である、ということも大きいのですが、腹黒さを保ちながら、かつ
厚かましさを、それも突き抜けるほどの厚かましさを身につけて実行できるほどの人物なら、
きっと総理大臣とかにもなれるのだろうな…と思いながらニュースを眺める日々です。

まさに政治家向けの思想と言えるでしょうね、厚黒学。