[完全版]生きがいの創造 飯田史彦 著

宗教・思想・哲学

[完全版]生きがいの創造 スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ (PHP文庫)

臨死体験から読み解く”生きがいの創造”

この本は著者自身も体験したという臨死体験を通じて得たビジョンから、死後の世界椰子後の生命といった客観的には証明し得ないけれど、それがあると仮定した場合に得られる主観的な生きがいを創造する思考法を紹介したものです。

著者がこのテーマに取り組み始めたのが国立大学の助教授で、人事労務方面の専門家として生きがいや働きがいについての理論を研究していた頃だと言うのが、「眉唾」なテーマに一定の信憑性を感じさせます。

大学の先生はそれこそ客観的な視点での主張が求められて、重箱の隅を突くような矛盾点にも答えていく必要がある立場にあり、そんな人が主張するオカルトチックな話題にはそれだけで興味が惹かれます。

そんな先生だった方(すでに退職して、生きがいの創造の活動に専念されています)が書いた著作を、初版発行後にいただいた反響のお手紙やその後の研究成果を更新して取り入れたのが本書ということでした。

死後の正解という、いわは主観的な認識にすぎないものと思われているテーマについて、科学的なアプローチを試みたという点で、かなり画期的だと思える本でした。

科学的手法の台頭で、人間存在の後ろ盾を失った

死後の世界、というのは生きている私たちの感覚では捉えることができないものです。

だから学問として検討するに値しないもの、どうやったって「わからないもの」だからです。

現在は科学の発展によって、物質的にはかなり便利な世の中となっています。

それは学問は科学的手法によって深めらられ、ひとつずつ客観的事実によって証明され、積み上げられてきたことが大きな要因です。

そしてその考え方によると、伝統的な宗教による神や魂といった計測し得ないものは、実際に存在しているということができないと言われていきます。

これは人々が感覚的に感じていた自然への畏怖や大いなる存在や意思に思えるような奇跡に対する否定となり、そして人間そのものの存在理由を脅かすことになります。

現在そのような扱いになっている人間の存在理由について、本書は「スピリチュアル・ケア」という視点を取り入れて、魂というか人間の本質的なところを癒し、そこから生きがいを手にするようなアプローチを展開していきます。

まだまだ一般には普及しきっているとは言い切れない「スピリチュアル・ケア」という考え方ですが、医療や介護といった命を見送る現場では注目されつつあります。

これまでは宗教が死後の世界を説明し、そして自分たちに存在理由を与えいたため、臨床現場でのスピリチュアルケアについては宗教関係者が担っていました。

そのため、特定の信仰を持つ人はそれを信じられるので、救われることができました。

一方で現在はいわゆる「科学教」とも言えるものが広まり、感覚として認識できないもの、客観的に評価できないものを信じないという風潮が広まっています。

現在のそうした思考法は文明や社会の発展については大いに役立ってきたのですが、一人ひとりの人間のあり方や自分の存在への自信のようなものがないがしろにされてきました。

「死」をとにかく怖がる、そして「死」から目を逸らしタブー視するようになります。

これは日常生活でも、抜け出すことのできない閉塞感や理不尽さ、そして自分ではどうにもできないんだという絶望感に繋がることとなり、自殺へと至ることもあります。

この本のすごいところは、かつて宗教が担っていた死生観について、科学的に分析して広く活用し(科学的、というのは客観的に誰が見ても納得できるようデータを集めて分析し、再現可能な状態にすると理解しています)、生きがいを持つ思考法として確立したことです。

かつてパスカルが似たようなことを言っていたのを思い出します(パスカルの賭け)。

信じる信じないより、死後の生命の存在を「仮定」する

この本では、臨死体験をした人々や退行催眠といった前世や過去世の記憶を呼び起こして記録した内容を取り上げています。

私も臨死体験や過去世と言ったものは、無意識のうちに取り入れた記憶の断片を組み合わせて、死に瀕した肉体が生き残るための情報を引き出すためのメカニズムだと思っていました。

ところが本書で紹介されている臨死体験や退行催眠により引出された過去世の記憶が、あまりにもリアルで共通点があり(著者が意図的に似たものを集めたとも言えますが)、どうやら意識の面では共通認識をもたらす何かがあるようだと思えてきます。

著者も繰り返し主張しているように、この本に書いてあることを信じるかどうかは強制していませんし、勧めてすらいません。

しかしもしも本書で伝えているような「死後の生命」と言えるもの、死とは肉体から離れて生きることだ、という考え方が実在すると仮定したら…?

その場合、人生とはわざわざ試練を体験するために「肉体」という制限を加えた修行の場であると言うことができます。

そしてその試練は、生まれる前にこれまでのたくさんの人生を経て課題として残ったものをクリアするために設定された、ちょっと難しいけれど必ず乗り越えられるレベルのものとされ、自分自身で設定しています。

この考え方が仮定されると、今の人生の困難はすべて自分の成長のために存在することになりますから、試練に立ち向かう意義も変わってきます(困難なほど”生きがい”を感じます)。

さらには今生きている人生の前には、これまでの意識体(魂や意識と言った、本質的なもの)が経験してきた膨大な知識や経験値があり、今回クリアできない課題は次回の人生へと持ち越されることになります。

と言うことは、もしも今の人生に希望を見出せずに自殺を図ったとしても、次の人生ではまた同じような問題に苦しみ、それを克服するまではずっと同じ苦しみを持ち続けることになります。

さらに過去に自殺したという記憶が呼び起こされた人の声によれば、自殺した後には激しい公開と、猛烈な反省をするための闇に包まれてそのままでは生まれてくることができなくなる、といことも書かれていました。

本書によれば、自殺すると言うことは、自分で設定した課題を放棄してしまうと言うことにつながりますから、決してしてはいけないことであるともいいます。

このように、本書で紹介されている思考法、考え方を取り入れることによって、自分の人生が全肯定できるようになり、そして苦労や困難に対しても「新しい課題」として自己の成長になるものだと受け取れるようになります。

本書の考え方を信じないにしても、「仮定」として受け止めるだけで上記のような考え方ができるようになるのですから、結局は精神的にとても楽になるということです。

だったら、死後の生命とか信じる気にならなくても、仮定としてこの思考法を取り入れてみて生きていくのも良いのではないかと思えてきます。

信じなくても仮定すると楽になる

本書は特定の宗教や信仰をお勧めするものではなく、あくまで医療現場などで得られた臨死体験、退行催眠による体験を集めて分析したものです。

その上でどうやら人は肉体の死が迫ってくると、宗教や信条に関わらず同じような体験をするようだとわかります。

それはもしかしたら、死後の世界の存在を示唆するものかもしれませんし、脳の構造上、そのような意識体験をするようにできているだけかもしれません。

しかしいずれにしても本書で説かれているような、故人はみんな生きている人を想って常に寄り添い見守ってくれていることや、魂だけの存在になったあとの体験は、今の人生をしっかり生きようと思わせる力があります。

私自身、死後の生命があるとしたら、今の人生では自分から進んで試練や困難に立ち向かって行こうっって思えるほどに視点が変わりますから、やはり本書で説かれている視点や思考を取り入れることは、「生きがいの創造」に繋がるものと言えるでしょう。

もしも自分が絶望するような深い悲しみに直面したとして、そして本書のような体験である故人との対話や臨死体験をしたとしたら、そこから現在の人生の「本当の目的」を悟って、それこそ一生懸命に生きて行こうと思えるのかもしれません。

 

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