大人向け教養絵本
本書は難しい古典で有名な「岩波文庫(青)」ですが、まえがきにも書いてある通り、新しい科学への入門書を目指して書かれたわけではないものですので、岩波の青シリーズにしては読みやすい一冊です。
ちょっと文字の多い、大人向けの絵本というような印象です。
原著のサブタイトルにも「見えない世界の絵本」とあるように、気軽に、人間以外の生物から見た世界を眺めてみましょうっていう雰囲気の本です。
そうは言ってもやはり歴史上「環境」と「環世界」の違いを初めて提示し、生物にとっての時間の進み方の違いや認識できる種類の刺激の違いによって捉えている世界の違いなど、そういう多角的な視点とも言える物の見方を提示した功績の大きな書物とも言えるでしょう。
手に取るのにややハードルが高い岩波の青いシリーズですが、読むと新しい視点や深遠なる学問の入口に立てる快感が病みつきになります。
種による”環世界”の違いを楽しむ本
本書ではマダニやウニ、カタツムリなどと言った人間とは外界を認知する感覚器官が著しくことなる生物が感じている世界を捉えようと、様々な実験やその刺激に対する反応、さらにはなぜその器官しかないのかなどの考察が紹介されています。
冒頭に紹介されているマダニに至っては、酪酸のにおいに反応し、動物の毛の有無を判断し、温かい皮膚に到達したら血を吸い始めるという、この単純な仕組みだけで生きています。
これだけの感覚器官だけしか持たないマダニにとっての世界は、酪酸のにおいと身体表面で感じる温度くらいしか外界を知る手立てがありません。
それでもしっかり子孫を残し、現在まで種が続いている事実を思うと、自然というのは本当に無駄な物がなく、必要であるからその形になっているのだと感動に似た衝撃を受けます。
他にもウニにとっての世界は上方に影になる物体がくると攻撃体勢を取るとか(雲や船が影になっても、それを敵と認識して棘を向ける)、カタツムリにとっての瞬間は4分の1秒だとか(人間は18分の1秒)、興味深い事実が次々と紹介されていきます。
また、本書が歴史に残す功績として、「環境」と「環世界」の違いがあります。
私たちは環境問題という言葉を使う時、それは人間の感覚器官によって認識できる周囲の状況の変化を問題としています。
この「人間の認識できる範囲の状態」が、人間にとっての「環世界」となります。
だから人間が今環境破壊をしていると言う場合、環境を変化させた後の状態の方が有利となる生物がいたとしたら、彼らにとっては環境破壊ではないことになります。
環境というのは生物種に関わらず、何がどうなっているのかを表す言葉であり、例えば地球には空気があり、その内訳は窒素が約8割、2割が酸素、そして残りその他に二酸化炭素やアルゴンなどが含まれる、などという事実としての状態です。
一方で生物にとって認識される環境、つまり環世界というのは、人間にとって呼吸に必要なのが20%程度の酸素で、快適な気温に保つのに必要な二酸化炭素はこの程度、というようなことです。
主観的に自分たちにとって必要な環境要素が、「環世界」というもの。
だから本書でも書かれていますが、蜂にとって重要なのは咲いている花であり、蕾には用がありません。
故に咲いている花か蕾かを判断する器官(目だったり触覚だったり)があり、花らしいものと蕾らしいものを区別する世界が環世界になります。
そこでもっと分解能の高い我々が実験として星形のものと球形のものを並べて蜂にみせたりすると、蜂にとっての環世界では星形のものを花だと判断して蜂が群がることになります。
より複雑な感覚器官を持つことによって、環境にある要素をより性格に把握し、活用することが容易になっていくのだろうと言うこともできそうです。
人間は人工的に環世界を拡張できる
このように人間以外の生き物が感じている世界を想像し、その反応を観察することによって、私たちが見ている世界も絶対的な物ではないかもしれないという思慮を持つことができます。
本書でも説明していますが、人間が生み出す様々な機械や測定器具は、人間の環世界を拡張するためのものであるということを忘れてはいけません。
空を飛んだり、自動車などでとんでもないスピードで移動したり、ということも環世界が本来の人間の能力では実現し得ないものです。
生身のまま飛行機や自動車の速度で移動したら、人体は耐えられず、感覚器官の性能が足りず周囲の状況も把握できません。
でもそれらの能力を拡張する機械を使いこなすための測定器具を開発し、それを人間の能力でも読み取ることができる情報に変換し、そしてその情報を活用して様々な能力を拡張していく、と言うことができます。
そこから学べることは、人間自体の能力は変わっておらず、機械を使いこなすことと自分の能力が強化されたという勘違いを起こさないようにすることだ、と思います。
自動車に乗ると性格が変わる人がいますが、もしかしたらそう言う人は、自分が強くなったように錯覚するから乱暴な運転をしてしまうのかもしれません。
これはほんの一例にすぎませんが、こういった本も知的な水準を高めてくれるという効果から見れば、自分たちの認識できる世界(環世界)を広げてくれる拡張アイテムである、ということもできそうです。
それによって「自分は物知りなのだ」と勘違いした人にならないように、そこだけは気をつけて謙虚に生き、さらなる知識の収集に励みたいですね。