現代洗脳のカラクリ 苫米地英人 著

自己啓発・ノウハウ系

現代洗脳のカラクリ

「洗脳」の第一人者が発する現代社会への警告

洗脳といえばこの人、苫米地英人というくらいにある筋では有名な方の著書です。

『洗脳原論』という、オウム真理教(もう若い人は知らないかも…)の信者の洗脳を解く過程を説明しながら、洗脳について説明したかなり学術的な色合いも感じられる本を書いた人。

自己啓発マニアの間では、どハマりする人と胡散臭い詐欺師呼ばわりする人に二極化する傾向があるように感じる人ですが、私はだんだん慣れてきました(笑)。

というのも、この方の主張がかなりぶっ飛んでいるのが特徴で、自分の普段の認識する世界の外側に”ゴール”を設定して、その臨場感を高めろ…という、きっと意味不明に感じるような事をずっと言っている人だからです。

長年、自分の視野を広げよう、価値感を広げようと意識していると、少しずつこの人が言わんとしていることがわかりかけてくるのですが、本当にわかって行動している人はそんなにいないのでは…とちょっと危惧しています。

そんなアヤシさ満点、だけど洗脳や催眠についての第一人者でもある著者が、今や世界中がいわゆる「拝金主義」に洗脳されておかしな方向へと向かっているという警告を発しているのが本書。

洗脳というくらいだから、私たちが当たり前に思っていることがもしかしたら理不尽で、落ち着いて考えたらあり得ない事だったりするという事実もある、という事が書いてあります。

そして洗脳を解く、という目的のためかもしれませんが、なかなかショッキングな世の中の事実についても書かれています。

洗脳が強いと、そういう情報に触れても「陰謀論だ」とか言い出しがちです、あらゆる事実を自分で調べて、自分の目で確かめて、そして判断する、ということをしていかないと、これから先の社会では「養分」として生きていくことになっちゃうかもしれません。

 

私たちは全員が洗脳されている

洗脳の定義は本書を読んだ私の理解では、本人以外の第三者の利益になるように情報をインプットすること、というものです。しかし手法としては教育も外部から情報をインプットする行為ですが、これはインプットされる本人の利益になるため、厳密な洗脳とは区別されます。

手法が一緒、というところが鍵で、私たちはおそらくほぼ全員が教育を受けています。それは学校に限らず、親や親戚、友人知人などあらゆる人からも「教育」を受けます。

そうして今、「自分の価値感」だと思っているあらゆることが、親や周りの人からの洗脳の積み重ねの結果であるということになります。

これは逆に考えれば、今たとえば拘っている何らかの価値感があるとしても、それが他人からの洗脳によって自分が受け入れた物だとわかれば、それを手放すことも可能だという事。

あとは洗脳/脱洗脳の手法を身につければいいということになります。

そしてそれは、「ゴール(最終的な目標)」を持つこと、に集約されます。

 

「教育」と「洗脳」は手法が同一だから…

洗脳を洗脳だと意識できた瞬間にその洗脳は外せると言ってもいいくらいですが、厄介なのは洗脳だと言われてもそれが理解できない場合です。

教育における成績優秀者というのは、それは洗脳されやすいと言い換えることもできます。

なぜなら洗脳(=無意識の価値感を書き換える)は、変性意識という「今ここ」に意識がない状態(何かに集中していたり過去を思い出しているときなど)に入りやすく、そしてそのために勉強に集中できる能力が鍛えられているからです。

そして彼らは(優秀な)自分が洗脳されるわけがない、と思っていることが多く、そんな人たちが何をしているかというと、日本という国を動かす立場に就いています。

ここに、本書が危ぶむ「洗脳の危険性」が隠れています。

私が教員時代に、勉強に集中し優秀な成績の人と接するとき、どうして勉強しているのかの目的が「言わされている」感じが非常に強い生徒がたくさんいました。

心の底から自分が勉強したい、と思って勉強している生徒は1割もいなかった(通信制という学校の性質もあるかもしれません)という印象です。中には勉強そのものが好きという生徒もいましたが…。

第三者の視点から見たらすぐに「ああこれは自分の意思がわからない状態だ」とわかりますが、本人やその親御さんなどの親しい間柄では、もしかしたらそれが当たり前になってしまっているのかもしれません。

なんだか苦しい、理不尽、だけどこれしか知らないし、こうだと教わったから、という理由で洗脳されている価値感を持ち続けることもあります。

それが本人にとっていいことなのかどうなのかって葛藤もしますが、保護者がいる状態の生徒に対しては、なにもできないというのが正直なところでした。

 

よく考えたらおかしいことって結構あります

オリンピックは世界的に盛り上がるのに、例えば世界選手権はそこまで盛り上がらないなあ、と思うことありませんか?

本書によると、元々オリンピックは全然人気がなく、どこの都市も引き受けたくないイベントだったそうです。

しかし1932年のロサンゼルスオリンピックから人気が爆発して、今のように開催地に立候補する都市が増えてきました。その理由は、「儲かる方法が見つかった」からです。

かつてのオリンピックは開催するだけで、税金を一円も使わずに、莫大な利益が入るイベントでした。しかし今度の東京オリンピックでは20兆円の税金を投入している、といいます。

オリンピックを開催することによって世界は盛り上がりますが、現実問題として庶民の生活はなんだか制限を受けたり税金が増えたりと、いいことがあんまり無いように感じます。

でも、オリンピックを開催するとなんだか良いことのような気がすると、洗脳されているのかもしれません。

そもそも、儲かる儲からないという話を度外視したら、このイベント自体は不人気だったということを思い出しましょう。すると観光客の増加やインフラの整備、異文化を持つ人々を受け入れる負担などの負の面が見えてきます。

スポーツを通じて国際的な交流が促進する、非常に高尚な大会だ!という主張もありそうですが、それは別にサッカーのワールドカップや世界陸上とかでも同じです。

それでもオリンピックだけが異様に盛り上がる不思議。

それはオリンピックだけが金儲けの仕組みがしっかりしていてボロ儲け確実なため、オリンピックは特別だという印象操作が行われているかもしれないということです。

そこを疑うことすらできないのが洗脳。だから、自分で洗脳を解いたり、外の価値感を知るためには、絶えず当たり前のことを疑って、その認識を否定したらどうなるのか?を意識していることが大切になります。

洗脳といっても価値感の違いに過ぎない

「洗脳」というと、なにやら恐ろしい拷問や薬物の投与などで精神を一度崩壊させて、その後洗脳者に都合のいい情報を受け付けていく、というイメージがあるようです。

しかし洗脳は、私たちの生活の一部として頻繁に行われています。

例えばテレビは非常に強力な洗脳ツールで、興味を惹く番組に集中している(=変性意識)時に、「お金が大事だよ〜」と保険のCMが流れると「お金は大事だから保険に入ろう」と思ってしまいます。

しかし保険は安心を購入するものであって、お金が大事なら買わずにお金を積み立てておくほうが確実です。

還付型の保険も、仕組みとしては「保険の部分(掛捨て)+還付分(積み立て)」として、しっかりお金を取られています。つまり何もなければお金を捨てていることになります。

「安心を買う」という認識ではなく、「お金を大切にするから保険に入る」という認識に入れ替わっているのが洗脳ということです。

ただしこうしたことは、保険の掛け金の内容をちょっと調べればわかることだし、調べた後に

「やっぱり保険は安心のために入ろう」と判断するなら洗脳ではないのです。

つまり、何も考えずに言われるがままに判断してしまうのが危険なのであって、洗脳そのものが悪いわけでは無いのです。

そして洗脳自体は、自分で目的を持って生きることでコントロールできるようになります。

先ほどの例でも、ちょっと調べれは事実がどうなっているかがわかります。

強力に洗脳され、自分で考える力が全く育っていない方の場合は困難かもしれませんが、事実を知ることが洗脳を解くことにつながります。事実を知った後で、自分の価値観に照らして判断することができるからです。

気づいたら洗脳は解けている

基本、洗脳/脱洗脳の状態の違いは物事を認識する価値感の違いにすぎません。

そして今自分が持っている価値感について、自分の根源的な好みや嗜好と合わないようだったら疑うことも容易です。

一方で社会通念など正解が無い問題、自分の体や心がどう感じるかは価値感による場合、まずは自分の今の価値感でいいのかと疑ってみて、そして他にどういう価値感や物の見方があるのかを知っていくこと。

そうすることで、多様な世界の価値観を知ることになり、その中で別の価値感に共感するならば、新しい価値感を取り入れることができます。

洗脳されている状態が危険だと言われるのは、その価値感以外の視点を拒絶してしまい、広い世界を知ることができなくなってしまうことです。

幸いなことに、洗脳から外れることと視野を広げることは同時にできますので、自分の信じる価値感を絶えず疑い、もっと公平な目で見ることができないかといつも意識しておくことが大切です。

しかし、その自分の固執している価値感に気づくまでが大変なんですよね。。

そんな時は苫米地氏のような人に脱洗脳を依頼するか(そういう発想が出てきた時点ですでに洗脳は解けているようなものですが)、洗脳されている前提で常に視野を広げようと意識的に行動するか、ということになります。

ただ見方によっては、洗脳された狭い世界の中に居続けることの方が幸福なのかもしれない、というケースもあるようなので、本人が明らかに苦しんでいるとか社会的に危害を加えかねないと言った状況出ない限りは、他人の洗脳を解こうとはしないことです。

もしかしたら洗脳されているのは自分かもしれませんし、他人の価値感を変えようとする行為は、たとえ洗脳を解く(=相手のためを思っての行為)ためだとしても、強烈な反発にあってしまいます。

 

苫米地さんの本は読むのは簡単だけど…

苫米地さんの本はかなりたくさん読んでいますが、読む時はなんだか簡単に理解したような気持ちになるものが多いんです。

でもそれを説明しようとすると、結局本に書いてあることをほぼ全て言わないと話の流れが続かないという状態になります。

ということは、この人の本は無駄な部分がほとんどない、ということになってきます。

過激な物言いをする方なので反発する人もいたりしますが、この人が言っていることをもしも全て実践できたのだとすると、かなりスゴイ人物になりそうだという感覚もあります。

洗脳の第一人者が書いた本書『現代洗脳のカラクリ』は、著者の本である『洗脳原論』のような洗脳の説明に加えて、現代社会がいかに拝金主義などに洗脳されているかの説明豊富です。

お金さえあれば、とか仕事をしないとお金がなくなって飢死してしまう、とか、いろいろ「そんなわけない」ことを思い込んでいることがあります。そういうお金がらみの恐怖はほとんどが拝金主義の洗脳の影響です。

お金がないと死ぬ、仕事しないとヤバイ、お金は汚いなどと思っている場合、本書をご一読されることをオススメします。

なお、Kindle unlimited対応のため申込済の人はタダで読めます。ご自身の認識や価値観を見直す機会になるかもしれません。

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