さいごの色街 飛田 井上理津子著

ノンフィクション

現代に残る遊郭跡、飛田新地

関東在住であっても「飛田新地」の名を聞いたことがある人、特に男性には多いのではないか。

私も仕事仲間からその存在を聞き知っていたが、その存在を知った時には俄かには信じられない思いだった。

ここはかつての赤線区域であり、遊郭が実在した場所なのだ。

 

飛田新地のある場所は大阪府大阪市西成区。JR天王寺駅から徒歩で行ける場所にある。

あべのハルカスなどに象徴されるように大阪をよく知らない私のような者からしたら、綺麗で品位の高めの地域なのかなと思うほど。

一方で通天閣や新世界と言った昭和時代を彷彿とさせる街並みも残っており、まさに大阪といえばこんな感じだという雰囲気も味わえる一角。

そんな場所に飛田新地は存在する。

飛田新地をリアルに感じた日

たまたま大阪へ行く用事があり予約したホテルが、飛田新地へ歩いていける距離にあり、興味本位で見物に行ってしまった。

写真撮影厳禁としつこくアナウンスされているので画像はないが、その雰囲気は異様というに相応しいものだった。

事前知識としては「かつての遊郭」というくらいのもので、ほぼ何も知らず歴史的建築の見学程度の気持ちだった。

しかしその区画に踏み入れた瞬間の空気の変わり方は、まさに異界へと迷い込んだかのような感覚だった。

ビビリな私はもちろんそこにある「料亭」の2階で提供される食事を利用できず、仲居さんとも偶発的に恋愛関係になる機会は得なかったが、正直なところ、本当に最低だと思うけれども、せっかく行ったのだから経験の一つとして2階へあがっておけばよかった…なんてことは思っている。

前置きが長くなったが、結局のところビビリなせいでその機会を逸してしまったことを悔い、自宅へ戻ってからその地域について調べに調べた。

その中の一つの本に、井上理津子著『さいごの色街 飛田』があった。

本書を読み進める中、少なくとも私は安易な気持ちで料亭を利用せずによかったと思った。

まだまだあっち側には行ってないぞと自分に安心したところもあった。

それと同時に、やはり行っておけば…と悔やむ気持ちも、ありありと認識できた。

 

前半はかなり読みにくい

さて、このような邪な気持ちで飛田への悔いを慰めるために手に取った本書だが、飛田へいきたくてしょうがない気持ちだった私に取っては、その現実に衝撃を受けるところが多かった。

本書の前半部分は著者が女性であることもあるせいか、やはり遊郭や売春行為に対する嫌悪感や飛田の関係者に対する嫌悪がありありと感じられ、読むのが辛い文章だった。

飛田を利用しようとした私に対して遠回しに非難されているような気持ちになるのだ。

特に料理組合や警察関係者からの言葉に対する著者の印象が記述されている部分は、私の中に著者に対する嫌悪のようなものを感じたのを覚えている。

今、読み終わって振り返ると、結局はオスの部分が都合の悪い主張に嫌悪感を持ったというだけなのだと思う。

基本的に性の搾取は許されないことだが、その搾取の部分を改善し、提供する価値に見合う対価を得られるようにはできないものだろうかなんて思ったりもした。

が、こうした記述を読むたびに、社会の主導権が未だに男性優位であることを見せつけられたようだった。

理性よりも下半身に支配されがちな男性的な思考を、より律する必要があるのだとも感じた。

 

後半はより内側視点が濃く読みやすい

本書は飛田の取材に10年以上を費やし、単行本が出た後の飛田の様子や登場人物のその後も文庫版のあとがきに記述されている。

そのため、「変わらない街」であると同時に、生きもののように変化し続けている飛田の姿がありありと描かれている。

本書を読み始める時には、ただただ欲望を満たせなかったことへの代替行為としての読書だった。

そして飛田に関する知識をしっかり身につけた上で、「料亭」で食事をいただき、その後の展開に期待しつつ再挑戦するつもりだった。

しかし読み進めていくうち、特に中盤から後半にかけての料亭の内部の人々に関するエピソードを読み、飛田の内側の生き生々しさを肌感覚でもわかるくらいに感じることになる。

前半と明らかに雰囲気が違うのは、著者が飛田の人々との精神的な距離が縮まったせいもあるのかもしれない。

そのせいで前半で感じたいちいち飛田の人の言葉に突っかかる著者の嫌悪感が、ほぼ感じられなくなった。

やはり飛田の人々の気持ちに寄り添うような心境になったのだと思う。

だからこそ、前半部分のようないかにも「取材してます」感が薄まり、もはや飛田の一員のような、内側からの視点での描写が非常に生々しく感じられる。

私もついつい引き込まれてしまい、後半部分は一気に読み通してしまった。

そしてその文章を読み進める私の心境も、飛田をただの欲望の捌け口として見ることはできなくなっていた。

 

飛田をきっかけにして考える

飛田がどのようにその存在を長らえ、今まで存続してきたのかを知ったことがその一つ。

かつては身売りなど不本意ながらもやむを得ずやって来た女性が多く、歴史の闇の部分を象徴しているかのような事実も存在していること。

一方、あとがきで触れられていたような、自分の意思で飛田の来たという女性が増えてきていることや、結果的に社会に黙認されている現状を見るに、倫理的な課題として議論を深めていく必要もありそうだ。

国や地域によっては公娼制度が存在することもあり、日本もかつては公的な施設であったこともある。

現在も本番行為は禁止されているが、性的サービスを提供する業態は許可制であるが存在している。

サービスを提供する側の人権や尊厳が十分に保障されることは最低条件だが、需要と供給が共に存在し、それが無くなることはおそらくあり得ない産業において、頭ごなしに一切禁止としてしまうのも考えものだなあという思いを持った。

しかし私が男であり女性に対して欲望を感じる存在である限り、この議論はどうしても肯定したい気持ちが勝っているのを感じる。

まずはその意見の偏りを認識し、その上で目を逸らさずに向き合っていくことが大切なテーマなのだろうと思った。

最後に

はじめ飛田は悪の巣窟だ、くらいの雰囲気で始まった本書を読み、自己嫌悪と料亭2階への期待を交えた葛藤を抱えながらも本書を読み終え、あとがきも解説も読み終えた。

だが読了しこの記事を書いている最中も、どうしても飛田新地への憧れが拭えない。

結局、男はヤリたいだけなのか…と少なくない自分への嫌悪感を残しつつ。

記事を終えようと思う。

 

さいごの色街 飛田
井上 理津子 新潮社 2015年01月28日頃
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