ブッダの脳: 心と脳を変え人生を変える実践的瞑想の科学 (草思社文庫)
ブッダのみたいな脳の状態を科学的に解明しようとした本
本書『ブッダの脳』は、脳神経科学と仏教の伝統的手法の両面から、いわゆる”悟り”の境地にある脳の状態を解明し、それを科学的アプローチで再現可能にすることを目指した本です。
研究や分析の部分もありますが、この本の趣旨は「読者もブッダのような脳になる」ためのガイドブック的側面が強いものです。
「ブッダの脳」と言っていますが、これは比喩的に〈悟りの境地である「わたし」という自我を手放し、執着から解放されて苦しみの根元を解消した状態〉を表しています。
少し前に流行った「マインドフルネス」「ワンネス」などと言った、慈愛に満ちた状態とでもいいましょうか、自他の区別や感情的こだわりをも超えた、全体が一つであるという状態、すなわち”悟り”の状態へと至るためのノウハウ集です。
読みながら瞑想が深まっていく構成
この本を読んでいると気づくと思いますが、所々に瞑想に入る時の呼吸法のガイドや思考の動かし方、脳内でのつぶやきや会話のいなし方などが多く、通読する中で自分自身の心が穏やかになっていくのを感じます。
著者もそうした効果を狙っているようで、意識状態が悟りへと至るプロセスや、なぜそのような思考や態度を取ることを求めるのか、と言った根拠も記述されていますが(かなり詳しく専門用語を交えて書かれています)、目的は脳の状態を変えこととしています。
私のように理屈から入っていかないと納得感が得られにくい人にとって、このような根拠の説明は知的好奇心を刺激してドンドンとのめり込んでいけるので非常に読み応えがあります。
一方で、手っ取り早く「気持ちい状態(深い集中状態)」に入りたい、そして素直な心をお持ちなら、そういった理屈の部分は読み飛ばしても問題はないでしょう。
伝統的仏教の修行者も、そんな脳内の物質とか状態がどうなっていようが悟ることができるのですから、あれやこれやと気になって知りたがりの煩悩が起きにくい人は、誘導文や呼吸のガイドなどを読みながら集中を深める使い方もできます。
私が読んで感じたことは、瞑想に深く入る時は意識内で言葉を形成するのではなく、視覚的イメージが生まれては消えていく感じになるので、左脳的処理をする「読む」という行為を止めて、誰かに読んでもらうか自分で読んで録音したものを聞くのがいいと思いました。
自分で読んでいると、どうしてもそちらに自我を意識させられてしまうんですね。これは単に練習が足りないだけなのかもしれませんが。
そういったやり方にも工夫をしていくことで、より一層の効果が得られる内容だと感じます。
いわゆる「気合い」だけでなく食べ物にも気を配る
本書の巻末「付録」には、上記のような精神面の気の練り上げとも言える手法に加えて、脳を物理的または化学的に望ましい状態に近づける方法として、食物への気配りも説明されています。
どんなに高尚な精神を持ったとしても脳のリソースを消費する食べ物(体の材料やエネルギー源)を摂取していると、高度な集中状態に至るための障壁となります。
例えば精製された食物(米、小麦などの穀物、砂糖など)は、ダイエットやメタボ予防の観点からも悪影響が大きいとされています。
これは脳にとっても、その処理のためリソースを割かざるを得ない物質です。
そうした物質を欲しがる心理的メカニズムなども本書の前半部分に書いてあるのですが、そういう部分を読み、そして実践を重ねることで自分の状態がより良い状態へと変わっていくのを実感すると、悪影響を及ぼすものを避けるようになっていきます。
せっかく初期の苦しい時期(離脱症状のようなことが起こります)を乗り越えて、もう甘いものを摂らなくてもいい体になっているのに、ここで再び食べて心身共に重くなり、そして再び執着が生まれるくらいなら、もう食べないと思えるようになるのです。
こういう視点を得て、自分もよりよい食生活へとシフトしていくと、現存する食物がいかに「飢え」への恐怖から生み出されているか、ということに気づいていきます。
穀物はカロリーが高く、短期的には生存可能性があがるというメリットがあります。
しかし現在、平均寿命は80歳を超えて来るなかでは長期的なデメリットの方が目立ってきてしまっています。
穀物生産をはじめとする食糧問題は、こうした飢えへの恐れから起こっているのだとすると、長期的メリットのある低糖質・高タンパク質の食事にシフトしていくことも検討の余地があるのかもしれません。
タンパク質の確保という別問題が生まれてきますが、摂取カロリーベースでは既に地球上の全人口を養うだけのものは作れているといいます。
過不足を均して健康になるために摂取カロリーを制限するようになれば、そうした問題も軽減もしくは解消可能なのでは、とも考えられます。
そのためにはやはり「内輪」「よそ者」という自他の区別など、文明以前の生存本能を手放すための瞑想や悟りへのプロセスが重要になってくるでしょう。
結局、世界の紛争は「内輪」「よそ者」の区別と、自分に危害を加える”かもしれない”よそ者の排除、という心理的メカニズムが大きな要因になっていると思われるためです。
世界的な新型コロナウィルスの流行による価値観の転換は、もしかしたらこうした部分から、心の中から始まって広がっていくのかもしれません。
まとめ
本書は脳のメカニズムの説明と、数百万年の人類の進化の過程で獲得された本能とも言える性質、そしてそれらの能力が現代社会では害をなしているところに注目しています。
それは、「わたし」という自我のこだわり(所有などの執着)によって生まれる「内輪」「よそ者」の区別に代表されます。
普段の生活の中でも知らない人に対して、なんとなく不快感を感じることはありませんか。
これはほぼ自動的に敵と味方を判別する必要性から生まれた能力といいます(かつて顔見知りではない他の人間は、自分を襲うかもしれない「よそ者」だった)。
だから、瞬間的な好意または敵意で、攻撃するか逃げるかの判断が求められていました。
いわゆる「とうそう(逃走/闘争)本能」というやつです。
しかし今や殺すか殺されるかの世界ではなく(一部、治安の悪い地域ではありえますが)、究極的には人類は皆助け合って生きてくことで、全体の幸福度は向上する世界です。
また、かつてブッダが説いた「慈愛」の精神は、まさに自他の区別なく世界全体が一つであるという視点に立ったものです。これは本書の瞑想で目指す地点でもあります。
究極的には、自己の幸福(この時点で「わたし」という自我に執着していますが)は自他の境界の消滅、全体がひとつであるという実感であるといえます。
壮大なゴールに見えますが、スタートは自分の物の見方や世界への認識から変えていけるという、希望も感じられるような結末です。
まずは自分の周囲の「内輪」「よそ者」の壁をなくすため、少しずつ「内輪」の範囲を広げていき(自分の意識内で)、ゆくゆくは世界全体、あらゆる生き物、存在物までも同じ宇宙由来の物質で構成されている存在、となれば究極に幸福(苦しみがない)状態になるってことでしょう。
いやー、果てしないですねー。