神さまとのおしゃべり さとうみつろう著

神さまとのおしゃべり – あなたの常識は、誰かの非常識 –

ぱっと見ふざけているようだけど本質を捉えている本

『神さまとのおしゃべり』という、なんともふわふわした印象を受けるタイトルの本ですが、実際に読んでみたらかなり人生の本質を突いてくる内容に強烈な印象を抱きました。

2014年10月に初版が出された後に私が買ったのが2015年4月ころで、しかしその分厚さからなかなか手が伸びずにいつものように積読化していました。

サラリーマン時代の生活があまりにも辛すぎたので、昼休みにトイレに籠って読み始めたのは覚えていますが、肝心の内容をすっかり忘れていたのでこの度再読してみました。

なぜ今のタイミングで本棚から取り出して読み出したのかは謎です。

なにかこの本に書かれている「幸せの本質」のような価値観を思い出せという、大いなる存在の意思か何かなんでしょうか??

そういうの好きな人ならわかるのかもしれませんね。私にはわかりません。

「99%の幸せを差しおいて1%の不満を探す人間のなぜ」

本書の帯に書かれている言葉が、実は今回読み始める時に刺さっていました。

なんだか毎日が辛かったり報われ得ていなかったりするように感じる時、実はすでに持っている幸せなもの・ことに対しては見えなくなっており、不足しているもの、持っていないものに対しての欲求が非常に目立っているように感じます。

そうしたシグナルを受け取って、さらに自分は何持っていない(代表的なのはお金)、何もできない不幸の塊のような存在だ、という極端な思考に走ってしまいがちです。

もちろん私もそのような状態にあり、今回再読した時にもサラリーマンをやめて1年近く経過しているにもかかわらず、収入の伸びが思わしくない状態に悩み始めていました。

今、思い返してみるとこの本を読みたいと思うような精神状態になっていたようです。

顕在意識のレベルでは「毎日読書感想文を書くための読書」というつもりで、半ば義務化したような感じで読み始めた今回の本ですが、潜在意識ではちゃんとわかっていたのかもしれませんね。

で、見出しに引用した本書の帯の文言である「99%の幸せを差しおいて1%の不満を探す人間のなぜ」について、まさに自分の状態じゃないか…と衝撃にも似た強烈な印象を受けるのでした。

表紙のホンワカした雰囲気からは想像だにしないような、価値感の根底を揺るがすようなことを(以前にも一度読んでいるにも関わらず)、改めて感じたのです。

つまり困っているときには、「自分が幸福であることを確認するために、あえて不足している部分を見て、すでに持っているものを見直す機会を作っている」ということです。

詳しいことは本書を読んで欲しいのですが(きっとこのページを読むような方はすでに読まれているでしょう)、神さまとのおしゃべりという軽い雰囲気の対話の中から、私に色々気づかせてくれる要素が散りばめられているのでした。

「◯◯が欲しい!」はそれを持っていないことの再確認

「お金欲しい!」と思うのは、今自分は必要なだけのお金を持っていないと信じているから。

「△△がイヤ!」と思うと、△△をイメージした後に否定しているので実現化してしまう。

なんだかよくある自己啓発系の本で書かれていることに似ていませんか?

このことを本書で読んだ時、確かに否定系のイメージは「否定した対象」が実現するように潜在意識が動き出すということは知っているので、できるだけポジティブなイメージ(◯◯がある!とか)を持つように意識していました。

しかしポジティブなイメージをしていても、「お金が欲しい!」とか「出世したい!」という願望そのものが、その対象物や事柄が自分にはないものだと潜在意識に再確認させている行為なのだということを知りました。

そして今それがなくても、視点を変えて「すでにあるもの、満たされているもの」に目を向けようとしてみると、実はなくても幸福であることに気づきます。

感謝の気持ちと与えることで、自分にも帰ってくる

すでに持っているものは、自分が今使えているもの、生かせている能力なども含まれます。

そしてそれらを自分のためだけに使おうとすると、使いきれないことに気づくというか、きっとすでに身の回りの人に対して、「当たり前のこと」として分け与えていることに気づくはずです。

私自身は「やさしい」なんてよく言われますが、それを意識して行使したことはあまり思い当たりません。

こういう不足した部分の存在を知ることで、それは他者の存在(自分ではない不足しているものの象徴)を通じて自分が持っているもの、与えられるものを再確認するプロセスを見せてくれます。

自分の持っているものを自覚(こんなにも自分にはいろいろな能力や恵まれた環境や状況があるんだという事実に気づく)と、それが感謝せずにはおれない気持ちになります。

その時、エネルギー的には高い状態にあって、もともと一つであった状態に近く(ちょっとアヤシイ解釈の方向に行ってしまいそうなので省略します)なるのだと言います。

感謝する気持ちを持って言葉や態度に表すと、とてもいいことがありますよってことですね。

なんだか、こう書いてしまうと身も蓋もないように感じてしまいますが仕方ありません。

なんにしても、今の自分の状態は決して不幸なわけではなくて、不幸に見えているのは自分の持っているリソースに気づいていくためのプロセスなんだよってことでしょうね。

人生の本来の意味と考えても良さそうなものからすると、わざと自分に対して苦しみや悲しみなどの困難をもたらしているとも解釈できます。

もちろん嬉しいことや楽しいこともです。

そうした感情を、むりやりポジティブな方向へ転換しようとするのではなく、感情そのものをそのまましっかり味わい尽くすことが、私たちが人間としてこの世に生まれてきた目的なのだ、ということです。

だからお金とか名誉とかは、感情を体験するためのきっかけにすぎず、その人ごとに最適な感情を引き起こすために必要ならお金持ちになるし、著名になる、ということ。

その必要がない、今の状態でも十分に感情が感じられるならばそこまでの物質的な演出は必要ないから起こらない、ということになるのでしょう。

似たような”この世界の外側”の話

なんだかこれ、『マネーゲームを脱出する法』に書いてあった世界観(この世はホログラムで感情体験が目的であり、物質的なものは感情体験を引き起こすためのきっかけにすぎない)というものにとても似ているんですよね。

ぶっ飛んだように感じる世界、でもなんだか腑に落ちる世界の解釈というのは結局このような形に落ち着いてくるのでしょうか。

生きがいの創造』でも書かれていた、肉体が死んだ後の魂(と呼ぶもの)が戻っていく世界から見たら、今私たちが生きている世界は【あえて肉体という制限をかけて、「体験」をするための世界】なのだ、というものとも通じています。

これらの書籍の著者たちが裏で示し合わせていないとも考えられませんが、異なる環境にあった異なる人たちが、同じような結論に至るあたりに、なんだか「確からしさ」を感じてしまうのは私だけではないはず。

この本を読み直したのは、そうした世界の外側のことについて理解を深め、今の不安感を手放すことを促す”上”からの支援だった、と思ってみるのも楽しいですね。