やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
「成功」の再現性を高める重要な要素
本書は2016年に発行された少し前の本ですが、まだ読んでいない方はぜひ読んだ方がいい内容になっています。
それは成功するためには物事をやり抜くことが大切なのは納得できるでしょうが、その「やり抜く力(グリット)」を左右する要素というのが、これまで大切だとされてきた能力などではないかもしれない、というものだからです。
歴史を振り返って見れば、大きく成功して大富豪となった人の学歴などに注目して見ると、必ずしも有名大学やドクターの学位を持っているわけではないことに気づくはずです。
なんとなくこれまで、そう言う人は「天才的」な才能を発揮して自分の専門分野を極めた結果、大成功して富豪となったような印象を受けますが、天才的な人間というのはいわゆる芸術家肌なところもあるので、成功とはちょっと違うものでもあります。
本書は、このような「なんとなくこんな感じなんだけど再現が難しい」成功の秘訣を、「やり抜く力」として定義することで浮き彫りにしていくことを目的としています。
私たちのようないわゆる普通の人でも《なんらかの成功》を達成することができるようになる、成功の再現性を高める秘訣が書いてある本ですから、密かな野望や夢を抱いている人には必読の書とも言える本なのです。
教育システムが「それ」を見えなくしている
現在の教育(日本の場合)は、決められた範囲の内容をいかに正確に記憶し、それをテストなどの効果測定時にどれだけ再現できるかで優劣を判定しています。
そしてそれを教える教員たちも同じシステムによって教育され、特に現在の教育システム内で比較的優秀な成績を納めた人たちが担うことになっています。
この教育システムは基本的には明治時代の「富国強兵政策」における国民皆兵とするための制度であり、一律に命令に従える人を作ることに適しています。
軍隊的な規律を教え込む制度であり、それは高度経済成長を経た日本にとっては、一定品質の労働力の提供に転化されることによって繁栄をもたらしました。
このような過去の成功体験やそれと深い関連にある終身雇用的な働き方、そしてそれをよしとする社会的風潮によって、既存の教育システム内で抜きん出ること(=勉強ができて優秀な大学へ進学し、有名大企業へ就職して定年まで勤める)が成功の道と認識されました。
ところが、それは第三者からみたら羨望の的ともなりうるものですが、個々人の思いや望みとはかけ離れているところもあるようです。
このような制度内で努力して上位にいた人たちが、だんだんと退職して第一線を退いて行くときに、定年後に急に仕事がなくなって自分は何をすればいいのかわからない、という状態に陥ることが多いといいます。
そして社会的に影響力を及ぼすことができなくなると、自分の存在意義を見失い、定年退職後に数年でなくなってしまうケースが増えてしまいます。
ここに、本当に現行制度下でがむしゃらに働くことが、万人にとっての幸せな成功になっているのだろうか?という疑問が生まれます。
中にはこの形で生きていく、定年後も再雇用され、その後もボランティアなどで自分の存在意義を見出していくという人ももちろんいるでしょう。
しかしそこに本来の自分の情熱や思い入れがないのであれば、それは会社勤めしていた頃と同じように、自分の内からわき起こるものとはズレている可能性があるのです。
やり抜く力の根源は「情熱」「粘り強さ」
ここ数年でインターネットを活用した副業が活性化してきました。
副業に取り組む裾野が広がれば、その中から副業が情熱とマッチした人たちも出てきます。
すると、その人は情熱を持って粘り強く取り組み続けることができ、大きな成功を収めます。
この時、周囲の人は成功者が成功に至るまでのプロセスを知らないので、「天才」「才能があった」などと評価することになるでしょう。
また経歴を見てたまたま有名大学や有名企業出身者であれば、「やっぱりね」と思います。
有名大学や有名企業に入れるだけのポテンシャルはあったのかもしれませんが、それは所詮記憶ゲームが得意だったとか、たまたまそこに情熱を持てたと言い換えることもできるかもしれません。
ただ人は、そうした従来の価値感からしか事実を見ることができないため、物事の本質を見失うことになってしまいます。
ここでは「コツコツと小さな成果を積み上げる」と言うことです。
こういうと誰にでもできそうなことに思えますが、実際にコツコツ積み上げて成功した人が限られているのには、やはりその達成が難しいと言うことになるのでしょう。
コツコツ、の個々の作業を見たらそこまで難易度は高くないのかもしれません。
しかし成果が欲しくて行う作業で、くる日も来る日も成果が上がらない中でもコツコツと続けるだけのメンタルを持てる人は、そこまで多くないはずです。
無駄だと思える作業に没頭できるのは、その作業自体が好きでのめり込むか、または無心になって作業に打ち込むかというケースが多いでしょう。
こうした人たちは、その先の成果や作業過程、または作業することによってもたらされるなんらかの効果に情熱を持ち、粘り強く続けることができるのです。
ここにやる抜く力を見ることができるのです。
一流になるには1万時間の練習が必要というけれど
一流になるには1万時間の本気の練習が必要だと言われています。
この事実が周知され、だれでも1万時間の練習を行えば一流になれるんだとわかっていても、なかなか本当に一流になれる人が出てきません。
こうすれば成功する、といういわゆる「成功法則」は世の中にたくさんありますが、実際に成功した人がわずかに限られるのは、「やり抜く力」が発揮できないことに取り組んでいるからかもしれません。
先ほども述べたように、やり抜く力とは「情熱」「粘り強さ」によってもたらされます。
そしてこれらは、自分が興味を引くことや強い魅力を感じる対象について発揮されます。
昔から「好きこそ物の上手なれ」なんて諺があるように、好きでやっている人はそもそも行為自体が好きで楽しいので、情熱を持って絶えずブラッシュアップや工夫を凝らしていくようになります。
結果として趣味が実益を兼ねるところまで行くわけです。
しかしそうならない人が大半なのは、趣味とはお金や名声をもたらすものではなく、あくまで自分1人や仲間内で楽しむものであって、広く社会へ貢献するための行動だという思考が含まれていないからです。
もしも趣味的活動が軌道に乗り、もしかしたらたくさんの人に貢献できるのかもしれない、と情熱を感じるようになったのなら、その趣味がきっかけで大きな成功を手にすチャンスが得られるかもしれませんね。
主体的になると情熱と粘り強さが発揮できる
これは私の主観的経験や、教員としての指導経験からの知見なのですが、人は主観として主体的に物事に取り組んでいると実感できている時、とんでもない集中力を発揮します。
直前まで勉強を嫌がっていた生徒が、将来の目標を定めてそれが腑に落ちて、今目の前の課題によって身に付く知識が本当に必要だと納得した瞬間、それこそ寝食を忘れて勉強に取り組む姿を何度も目撃してきました。
これと同様に、私自身は元々工事現場の監督でしたが、ある時人に教えることに楽しみとか喜びを感じ、それまで放置していた教員免許取得に必要な単位を取得しようと動き出したということがあります。
そう言う時、人は「なぜわざわざこんな苦しいことをしているのか」などと考える余地が意識ないからなくなり、「どうすれば効率よく、自分の能力を高められるだろう、目標達成ができるだろう」という思考でいっぱいになります。
これはゾーンに入った状態にも似ているのかもしれませんが、とにかく自分の影響力を及ぼすことができる範囲内に自分のやりたいこと、課題があるという感覚です。
自分の意思でどうにでもなるし、これを達成すれば自分が望む状態が手に入る、そもそもそれを目指して努力していること自体が気持ちいい、とも言い換えられます。
これが「やり抜く力」の発揮状態なのかはわかりませんし、その後教員も辞めてしまったのでグリットなのかどうかは言い切れません。
しかし少なくともそのモードに入った時には、継続的に粘り強く、単位を落としてもテストが不合格でも、課題に対して情熱を持って粘り強く取り組めたなあ、と振り返ることができます。
グリットはだれでも発揮できる力
これまでの学歴偏重や偏差値重視の人物評価は、本来の目的である国民皆兵や一定品質の労働力製造、そして組織の歯車たる官僚を生み出すには非常に優秀なシステムでした。
そういう仕事や立場を目指す人にとっては、このシステムの中で優秀な成績を収めることは、最重要課題であり、そこにグリットを発揮するべきでしょう。
しかしそうではない人にとっては、自分が取り組むべき情熱を感じる分野について目を逸らさずに正面から向き合い、そこに少しずつでも情熱的に粘り強く取り組んでいくことが大切と言えます。
情熱を生み出すものやことは、それを現実的な理由で我慢している間はずーっと燻ります。
こじらせると自分の子供に自分の夢を投影し、その子の人生を台無しにするパターンも見られます(私もそのうちのひとりでした)。
だからずっと燻っている情熱の元は、一度正面から向き合うことです。
そして一度、本気で取り組んでみること。できるところからでOKです。
すると、それが本物の情熱だったら楽しくてのめり込んでしまって、どんなに忙しくても時間を絞り出してでも取り組もうとするでしょう。
でも大抵の場合は他人からの影響や見栄によって、それに対するかりそめの憧れが形作られているだけにすぎないと気づきます。
その場合は、一度やってみるとすっかり熱は覚めて、考えもしなくなります。
私は憧れの車であるランサーエボリューションに乗りたい、というのがありました。
離婚した時に、もう守るものもないので買ってしまえ!と買ってみたんです。
しかし楽しいのは最初の2ヶ月くらいで、あとは燃費が悪くてやたらと大きい、私の嗜好とはズレているものだと気づきました。
あとは「ランエボ」に乗っている私、という見栄ですね。これはきもちいいです。
ただ情熱の本線とズレている場合だんだんとその熱は覚めていき、1年立たずに手放してしまいました。
そのかわり自分が求めているものが少しずつ明確になっていき、今では軽自動車と原付というエンジン出力の非常に小さい乗り物を乗り回すことになっています。
ランエボのローンが残っていますが、自分の主観的な幸福度としては以前よりもずっと増し、そして大出力の高級車に対する興味も一切消え去ってしまいました。
今では大きな輸入車などを見かけると、快適すぎてつまらないんだろうなあ、と思うようになっています(が、乗っている人はきっと満足しているはず、価値観の違いですね)。
このように精神衛生上、とてもよい状態に落ち着いてきます。
その上、本当に情熱を生み出すものがより明確に、曇りが取れてはっきりとわかってきますので、毎日が非常に楽しく、かつもっと楽しむにはどうしたらいいのか?と常に考えているようになっています。
これがグリットなのかどうなのか?という話ですが、少なくとも私は幸せの実感度が大いに増してきましたので、あまりそこまで問題視していません。
この本を読み、自分の経験に照らし、それ以降は自分の情熱が生まれる方向へと判断していけばいいのだ、という確信が得られたのでよしとします。
そんなわけで、やりたいことがあるけど現実的な問題でモヤモヤするなあ…と思っている方はぜひご一読下さいね。
読む時間ないよ!という場合、音声で聞き流せるものもあるようです。
車で遠出するときなんかちょうどいいですよ。
本は紙とKindleとあるようです。私はKindle派です。積読がデータで済むので。