本好きに刺さるタイトル
『100歳まで読書』というタイトルを書店で見つけて、ついつい手に取ってしまった本書。
タイトルの付け方が読書好きに刺さる。さすがだと思った。
三笠書房より2019年11月に刊行。
著者は朝日新聞の社会部デスク、編集委員を経て論説委員、編集顧問を勤めた後に退社、ニュース番組のコメンテーターや大学での非常勤講師なども務めた人物。
つまり超頭いい人だという先入観が入ってしまった。
そんな印象で本書を読み始めた。
だが、この先入観はいい意味で裏切られることになった。
本文を読み進めると、著者は自分のことを「酔眼耄碌爺」と自称し、読書も大変だ…という気持ちを所々で表明しているのである。
ああ、わかるわかる。集中力持たないのよね…(私は30代だが…)と共感しっぱなし。
本は楽しく読むべし
本書を書いた時点で既に80歳を越えている著者だが、その年齢ではさすがに従来のような体力的にキツい読書は難しくなる。
体力的にキツい読書とは、分厚い専門書を最初から読んだり、全く知らない分野の本を通読するなど、かなり読み通すのに気合いを要する読書のこと。
高齢となっても読書がしたいという思いが強い著者が、その豊富な経験から負担を少なく、かつ豊かな本の世界に浸れる読書方法を提案しているのが、本書を貫くテーマだと思う。
具体的にどうするのかというと、やっていることは「拾い読み」だ。
「拾い読み」から広がる思考のネットワーク
著者のような大量の読書経験が蓄積されている人物は、ちょっと拾い読みした文章から、その文章の生まれた謂れや著者のエピソード、影響を受けた原典などに言及し、話題が無限に広がっていくような印象を受ける。
私もこんなふうに年齢を重ねていきたいものだと思う。
さらに著者は辞書を拾い読みしたりする。
著者くらいの人物になると辞書をも読書の対象にするという。
たしか三島由紀夫も幼少期に辞書だか百科事典を「あ」の項目から順番に読み込んでいったというエピソードがあったように思う。
やはり著名な文筆家ともなれば、辞書は必須の読書対象なのだろうか。
辞書を読むことで語彙が広がる。
その経験が新しい知識の獲得という快感につながるのなら、もしかしたら辞書を読むことも楽しい読書体験となるのかもしれない。
この本を読み続ける中、無性に国語辞典を、それも「大辞典」と名を冠するくらいの分厚いやつを読んでみたいと思うようになってしまった。
いつの間にか心に染み込んでいる言葉
文章を扱うプロの書く文章は、なぜもこう心にスッと影響を差し込んでくるのか。
その影響力を認識する前にAmazonで注文している自分に愕然とした。
本書では色々なエピソードに絡めて、これは読むべし!という本が紹介されている。
書評を集めた本、という言い方もできるかもしれない。
そんな本書で紹介される中で即買いしてしまったのが、丸谷才一『思考のレッスン』、同『文章読本』の2冊。
他に橋本治『これで古典がよくわかる』を衝動買いしそうになったが、過去に買って読もうとして挫折、ブックオフに放流してしまった経緯があるため、上記2冊を読み終わってからにしようと踏みとどまった。
そのくらいこの本の威力は凄まじい。
ここ数年は読書をする時間が取れず、本を買っては売ることを繰り返していたせいか、読書への欲求が猛烈に高まっていたのかもしれない。
一流の「読書家」たるには
この本で紹介されている本は、「自分も読まねば!これが未読で読書好きを語れぬ!」的な気持ちになってしまうのだ。
それは著者の経歴を知ってから読んだせいなのか、著者の書く文章が心に響くからなのか、あるいは両方か。
私自身も100歳まで読書をしていたい、そして著者のような豊かな本同士の影響やつながりを発見して楽しみたいと思う。
そのためにはまず、本書で触れている本たちを読み込んで、自分の思考ネットワークに組み込むことだ。
本書を読みながら2冊を読み終わったら、早速国語辞典を読んでみることにしよう。
文章の書き方や形のお手本にしたい一冊
本書は書評集とも言える、章ごとに話が完結する短編集のように読むことができる形だ。
私もブログを書くにあたりお手本にしたいと思うような本でもある。
本の形や参考にしたい欲求などが混ざり合うことによって、この本を面白く読めたのだろうと思うが、仮にこのような気持ちがなくても本書を著者のいう「拾い読み」をしてみれば、きっと興味を惹かれてじっくり読みたくなはずだ。
拾い読みを提案するくらいの著者だから、拾い読みされて欲しくなってしまうような仕掛けがないわけがなかったのだ。
私はまんまとその策にハマり、おまけに紹介されている本まで買ってしまった。
完全にしてやられた。
それくらい面白い、知的興奮を掻き立てる一冊。それが『100歳まで読書』なのだった。
100歳まで読書 | ||||
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