生とは、死とは
瀬戸内寂聴・堀江貴文 著
両極端な二人の対談本
生と死についての対談本です。
この組み合わせは非常に興味深いと思い、つい手に取ってしまった一冊。
対談したのは、僧侶である瀬戸内寂聴さんと実業家の堀江貴文さん。
寂聴さんはこう言った問題については専門家とも言えそうですが、
堀江貴文(ホリエモン)さんは拝金主義というか現世的なイメージが強いです。
対極にあるようなお二人の対談ですから、一体どんな内容なのかとても気になります。
本の「はじめに」でも触れられていましたが、出版社の編集者から、
最近注目している人と話してみないか、という問いかけに対して、
瀬戸内さんが「ホリエモン」を指名し、実現したとのこと。
この辺りの流れも「はじめに」で説明されています。
この本の内容について
本の内容ですが、8テーマについて語られています。
タイトル通り、死についての対話、生や産まれることから少子化問題、
所有や思い込みを手放すこと、自殺のこと、経済のこと、原発のこと、戦争、国家権力。
根底にあるのは、ホリエモンがらみの本らしいのですが、やはり
「自分の頭で考えて判断する」ことが重要であると痛感します。
また、自分の意思で情報を集めることの重要性も感じられます。
他のホリエモンの本も読んでみると、やはり根底には
「自分の頭で考える」
ことの重要性が、メッセージとして含まれています。
死ぬってどいうことなのか?
まずはじめにタイトルにもあるように「死」について。
死ぬってどういうことなのか、死ぬことは怖いことかなど、
誰もが一度は考えたことがありそうな内容です。
いつかは死ぬ。死ぬことを考えたら生きることが見えてくる
第1章のサブタイトルには、こう書かれています。
僧侶と実業家という立場が真逆の二人でも、到達し得るところが似ているのが興味深いです。
あることを突き詰めて、自分を極限まで追い込んだ人だからこそ、
到達し得る境地なのかもしれません。
そう言った意味では、予想した通りの内容かな、と思う人も多いのではないでしょうか。
この二人もそんな風に考えるんだと思うと、
「死を想うこと」
が、よく生きるためには必要な要素なのだなと改めて思えてきます。
死について考えているからこそなのか、ホリエモンは死なないために色々やってますね。
「自分は死なない」と彼は口にしますが、誰もがみんな、実は
「自分は死なない」と信じ込んでいるようにも思います。
生きている人は必ず死ぬというのに、自分だけは死なない、死ぬわけがないって
思ってしまうのはなんか不思議な感覚です。
こだわるな、手ばなせ!
もっと認め合い許し合い譲って生きよう
第2章は所有や思いこみからの解放について。
このテーマも二人にとってはとてもしっくりくる話題です。
一般的には所有することやみんながすることは正しいとされますが、
特にホリエモンはそういうのを「ばかばかしい」と切って捨てます。
今、彼は家もないそうです。ホテルを転々としている身軽な生活。
気楽で羨ましい反面、やっぱりなんか落ち着かなそう…。
結局、他人のことなんてどうでもいいということに尽きるのですが、
その結論に至るプロセスは、反論の余地がないほど。
それでも本当に「他人は関係ない」、と割り切って生きていくのが難しいんですよね。
これができれば少しは楽に生きられるようになりそうですが。
わけのわからないルールに縛られいる、という見方もできます。
しかしその「縛られている」というのは、結局自分自身が縛っているに過ぎない。
ここに気づくことができたら、あとは選べます。そのまま縛られ続けるのか、それとも…。
子育てはエンタテイメント
少子化問題は政策ではなく流行にして解決
「死」の話題よりも、生まれるという話の方がこの二人にはしっくり来る、
という流れから、子育てについてのテーマに移ります。
この本のベースのようなものに、
「自分の頭で考えて判断する」というものが感じられるのですが、
これは世の中の価値観が移りゆく中で、確固たる自分を保つことが大切、とも受け取れます。
例えば「貞操」という言葉。これがすでに死語となりつつある。
瀬戸内さんがある女子大生に「貞操」についての説明をしたところ、
「誰とでも寝ちゃうことのどこが悪いのか?」
逆に聞かれてしまいました。
そして「どうして誰とでも寝ることが悪いのか?」と考えてしまった、
というエピソードが紹介されています。
かつて、貞操を守るというのは強力な倫理規範として共有されていました。
現在では、良く捉ええれば個人の意思が尊重される社会になりつつあるので、
そう言ったことも自己責任となってきているように感じます。
そう言った「性」の問題との関連で少子化についてのお話に移っていくのですが、
一つの解決策として、養子縁組の制度を流行らせる、というのがあります。
子供を産んでも育てられない、産んでも虐待してしまうという問題に対して、
養子に出す、ということが一般化すれば、出生数としては上がるかもしれない。
効果のほどは疑問ではありますが、こうした柔軟な発想が出てくるのはさすがです。
生きてるだけでなんとかなる
ろくに努力もしないで、絶望するな!
この二人がいうからこそ、とても説得力があります。
瀬戸内さんのところへ、「死にたい」と相談に来る人がいる、という事から始まります。
「死にたい」と言ってくれる人は、
「今の苦しみが少しでも和らぐのなら、死にたくない」というメッセージを発している、
そういう風に受け取るのだそうです。これはなるほどと膝を打ちました。
一方、ホリエモンは、
自殺する人はプライドの問題だけである、と言い切ります。
病苦を除く自殺に至る理由として、経済的な問題についてはプライドが問題である、と。
そして借金なんて”踏み倒せばいい”とまで言います(ただし闇金はダメ、とのこと)。
ホリエモン自身、踏み倒したことはないそうですが、
それはプライドに拘らず(ホリエモンはそういうのが気にならないようです)、
だからこそ、とにかく頑張って借金を返して来れたのでしょうね。
結局、周りの目を気にしすぎている、ということに尽きるのだと思います。
そして自分から周りの目に晒されにいく。SNS疲れなどもその1つでしょう。
このほか、世間体や社会通念などの、目に見えない圧力のようなものがありますが、
自分が見なければ、存在しないのと同じです。
瀬戸内さんはネットの悪口はわざわざ見ないそうです。
ホリエモンはたくさん見てたら慣れるそうです。
自殺に関しては、社会が煽っている面も指摘されています。
自殺の報道が、さらに自殺者を増やす方向へ誘引していきます。
誰も得しない情報を流すことになるが、
それはセンセーショナルな話題でもあるためによく売れる。そして更に煽る。
そう言った意味で「マスコミは人殺しをしている」とも言えます。
この章で触れられている「努力」についても、
まずは自分の好きなことをやりましょうよ、ということ。
そして努力はテクニックに過ぎないから、いかに努力できる環境を整えるか、
ということに言及しています。
現在は、例えば起業をすると言っても元手なしで始められます。
一昔前なら、事務所を借りて、電話を引いて、机・椅子を買って…と
初期投資がすごくかかりました。
今はインターネットのおかげで、パソコンやスマホで起業も可能。
だから努力をしようと思った時のハードルは限りなく低くなっています。
そういう情報を得るためにも、やはり自分の頭で考えて判断する、という習慣を
身につける必要があるなあと思うのでした。
今って不景気?好景気?
働くこと、辞めること、やり直すこと
ホリエモンは人の心の機微がわからないから、デリカシーのない言葉ばかりいう、
なんて思われている節があります。
この本で意外な発見だなと思えたのが、「ビジネスには人情は不要」と言う考え方が
基本にあるから、いわゆる日本的なマネジメントが気持ち悪いと感じるようなのです。
ただ、瀬戸内さんも指摘していますが、
刑務所から出てきたら人間らしいホリエモンになってきていると。
出所後のホリエモンは、確かに人が生きていくことに関する発信が多いと思います。
多くの人が望んでいるが、他人を気にしすぎて表明できない思い。
そういったものを痛快に代弁してくれるからこそ、
熱烈なファンとアンチが生まれるのでしょうね。
私自身もホリエモンの著者やツイッターを見ていると、
正論を主張されるものだから言い訳できないんですよね。
そして言い訳しようとしていることが、
つまらないプライドを守ろうとしていることになるという。
時間差で「なるほど」と納得させられてしまう。
その場ですぐに理解できないあたり、私も自分で考える力がまだまだ
衰えたままなのかもしれません。
結局、この本は何が言いたいのか?
瀬戸内寂聴さんと堀江貴文さんによる、
「生と死」
を中心とした対談が収められている本ではありますが。
テーマが変わっても、
【自分の頭で考える】
ことの重要さを訴えてくるような印象を受けます。
ここでは触れていませんが、対談の中で原発の賛否についても論じています。
そこでは二人の主張はぶつかるのですが、最終的な意見は違っても、
ちゃんと自分の立場や得られる情報を得た上で考えて結論を出しているんです。
世の中のいったいどれだけの人が、自分でちゃんと情報を集めて、考えて判断しているのか?
この本では二人ともがそうしている(そうでなきゃ本にならない)ので、
そういうもんだと思ってしまいがちです。
ですが、ふと立ち止まって自分を省みたときに、
果たして自分はちゃんと自分の意見としての論拠があるのだろうか?と
とても不安な気持ちになるのです。
いつもホリエモンが書いた本でしか彼の考えに触れていないので、
それは盲信にも似た受け入れかたをしてしまっていました。
今回、対談という形で相対的に読み取ることができた影響なのか、
読んでいる自分自身の頭の中も、客観的に捉えようとすることができました。
対談本って内容が薄いイメージがありましたが、
今回のこの本で、自分の思考を振り返るにはとてもよいツールなんだなあとも
思えた読後感でした。