なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 諏訪哲二著

なぜ勉強させるのか?教育再生を根本から考える

諏訪哲二 著

勉強するのに理由が要るのか?

私がまず感じたのはこれです。
勉強はなんかつまらない、無理やりやらされるイメージが強いですが、
本来、新しい知識を得るということは、とても大きな喜びをもたらします。

著者は「プロ教師の会」の代表という肩書きです。
なんか【すごい先生】っぽい感じを出したい雰囲気を感じて、私はイケ好かない感じを
持ってしまったのでした。じゃあ読むなよって話ですけど。

現場(指導困難な生徒が集まる通信制高校しか知りませんが)においては、
小難しい理屈の前に生徒個人の人格を尊重しないことに始まらないんです。

「プロ教師の会」代表の著者が、教職生活四十年間で培った究極の勉強論

という触れ込みですが、正直なところ「いかほどのもんじゃい!」って
気持ちで読み進めていきました。

勉強が嫌いで、教員から無理やり勉強させられている生徒にしてみれば、
なんでこんな苦しい思いまでして勉強しなきゃならんの?って
そりゃ疑問に思うに決まってます。

この著書では、「管理教育」の重要さが説かれており、
集団生活を送りながら規定の課程を収めることによって、
一旦社会の枠組みに嵌め込む事が教育の目的であると説きます。

教員の現場での実務経験や、その過程で学んだことや指導を受けた先輩方など、
その人に影響を与える要素は、無限に近いほど考えられます。

その中でこの著者は、管理教育を行うことが教育としての正しい姿である、という
信念を持つに至ったわけですから、無下に否定はできません。

しかし、私が教育現場で培った経験、生徒の自主性を引き出す方法とはおそらく
対極にある方法論となります。

そのせいか、斜に構えて読んでしまったきらいがあります。

結局、この本で「勉強させる理由」が提示されているか、というと
「わからない」
ということになります。身も蓋もない。

すでに教育課程を修了した大人たちにとって、勉強とは「して当たり前」のもの。
だから、「いいからやれ!」となってしまう。

勉強しなきゃならない理由がわかる、少なくとも自分の中で納得感がある理由が
持てる様に導くことも、教育に携わるものの責務なのでしょうね。

ちなみにこの本では、この問いに対する答えの候補を挙げています。

曰く、

野生のヒトから社会的な人間になるための規範を教え込むこと。
そのために窮屈な枠に嵌める過程、それが勉強である

私はもともと、現制度下の教育について、
枠に嵌めようとする、児童生徒の可能性を潰しかねない教育である、と
そんな風に否定的にすら捉えていました。

しかし、この本では、あえて一旦枠に嵌めこむことによって、
社会の中で生きていくための共通ルールを学ぶのだといいます。
(それが今の時代にそぐわない、って主張もあるんですよね)

武道でも守破離、という考え方があって、
教えを破るためには、その破る教えを体得しないといけません。
そういう観点では、人格形成のための教育という役割があるとも言えます。

とは言え…
自分の意思を表明せずに周りに合わせる生き方をする人が多く、非常に息苦しさを感じます。

「管理教育」、つまり現在の学校教育は、
もともと軍隊を作るための制度である、という見方があります。

軍隊は規律が守られねば崩壊しますし、すぐに敵に負けてしまいます。
個性を無くし、上官の命令に絶対服従するからこそ、その集団の力を活用できます。

ただ、これからの時代は個人個人が情報発信ができる時代になり、
必ずしも集団に属する必要性がかなり小さくなってきています。

自分の頭で考えて、それを発信していくことが求められています。
(学校での教育と社会に放り出された時のギャップが大きすぎで、私も苦労しました。)

インターネットというものが生活に密着してくるに従い、全世界を相手に生活を送ることが、
否が応でも受け入れざるを得ません。

いまだに「学制」由来の教育システムを無理やり押し通そうとすれば、
今の時代を生きる若者たちは、強く反発するでしょう。それが色々な形になって表出します。

何が一番いいのか、それは誰にもわかりませんが、
少なくとも異なる教育へのアプローチが対立いていることで、よりよくしていこうという
大きな流れは加速してくんじゃないかと思います。

それが、この本が持つ存在意義でもあるのでしょう。