呪術者になる!
宮島鏡 著
呪術者になるための指南書
タイトルの字義通り、この本を熟読すると呪術者になれるようです。
呪術者になるために必要なことを明示することを通じて、呪術とは一体どういうものかを
わかりやすく説明してくれています。
また、具体的な呪術の方法まで網羅されています。
目に見えない物は信じ難いのですが、呪術というものが実在し、現実に影響を及ぼしている、
という前提で話が進んでいきますから、読んでいる側も呪術が存在している、と信じ込んで
読み進めて行く感じです。
そもそも、こういう書籍を手にとる時点で少なからず信じているんでしょうね。
不思議とスッと入ってくる印象を受けました。そして自分も呪術使えるかも?
なんて思えてしまうとこが不思議。
現代社会においても必要とされる呪術
呪術という字は「呪い」という字が入っているように直接的に干渉するのではなく、
おまじないや呪文、儀式などで目標に対して影響を与えるイメージがあると思います。
科学技術全盛の今の時代には即さない、むしろ平安時代の陰陽師とか、そういうイメージが
強いのではないかと思います。
ところが著者の宮島さんは、現代社会においてこそ、呪術が必要であると考ます。
その理由として、
この世界で生きる限り他者からの干渉は避けられない
そのため他者との摩擦も必然的に起こり、怒りや恨みの感情も生じる
ということが考えられます。
負の感情は表に出すとトラブルの原因となるため、
極力自分の中にため込んでしまいがちです。
特に繊細で感じやすい人ほど、まじめに内へとため込んでしまいます。
その結果として、自殺者数の増加が見られるのではないか。
言います。
そこで呪術の活用が提案されます。
間接的に影響を与える呪術
直接、恨めしい相手に手を下しては犯罪になります。
しかし我慢も良くない、となれば、相手に直接被害を与えて憂さ晴らしをするのでなく、
呪術を使って、感情の澱を解消してみるという使い方をオススメしています。
古来より呪術はその効果の大きさゆえに様々な記録に残されてきました。
だから効果のほどは折り紙付き。
確実に効果があると信じて、恨みの相手に呪術を使うのです。
この本を読んだ限りでは、呪術は歴史上は効果があったという記録が残っていますが、
その事象と呪術の因果関係までははっきり証明することができません。
ただ、自分がかけた呪術によって目標の相手になんらかの影響が出れば、
術者としては感情の澱は解消されて解決するでしょう。
それに相手としても自分の不注意や単なる不運と片付けてしまうでしょうから、
人間関係の中にトラブルやしこりも残りません。
実際に呪術によって他者へ危害を加えることができるかどうかは不明ですが、
少なくとも呪術の効果を信じて、その儀式に集中することができたなら、
その術者の怨念など感情の澱は解消できる可能性もあります。
呪術も現実も、人がどのように認識するのかの違いに過ぎない
この世界は1つの絶対的な世界があるわけではなく、
1つ1つの脳が認識している異なる世界である。
そんな考え方もあります。
だから、呪術があると信じている人にとっては、
呪術と事件は因果関係があるし、実際にその人の世界では効果が出ていると認識します。
反対に信じていない人にとっては、
呪術と事件との因果は認識できず、単に不幸な事件が起こっただけ、
そんな風に認識するだけに留まります。
そう言ってしまうと身もふたもない話になってしまいますが、
信じるものが救われるとも言いますし、呪術に限らず何かを信じるということは、
その人に多なる力をもたらすのだなぁなんて結論に至ります。
そういう使い方があるのなら、精神的に病んでしまう人を救うヒントにもなりそう、
とも思いましたが、それはまた別のお話ですね。
今、悩みがあるなら呪術を試すのもアリかも?
人が生きて行く上では色々なことが起こります。
しかしどれも受け取り方、解釈の違いに過ぎない、としたら、呪術的アプローチで
自分の内面を書き換えてしまうことが有効なのではないでしょうか?
そのためのプロセスとして、古来より伝わる呪術的儀式を行うのもアリだと思います。
ちなみにこの本には呪術者になるための心構えから始まり、
呪術者に向いてる人、向いてない人のチェック項目まで載ってます。
他者へ危害を加えること自体に不快感を持つ場合などには躊躇してしまうかもですが、
間接的になら大丈夫そう、と言った人なら呪術者になれるかもしれませんよ。
呪術者を「本気で目指す人」向けにもしっかり書かれているこの本は、
本気で呪術者になってもらおうっていう、著者の想いも感じる1冊でした。
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