書物の戦場 鷲田小彌太 著

書物の戦場

タイトルに惹かれて買った”書評論”

書評ブログを目指して日々読書とその感想文を記録に残すことを続けているのですが、歴とした物書きで、思考の深掘りがなされている人の本を読みたいな〜と思っていたら見つけた本。

毎月開催の「浦和古本市」で見つけて、『書物の戦場』という血湧き肉躍るかのようなタイトルの本に惹かれて手に取りました。

書物を通して世界を知る。いま、その世界が面白い。

渋い。この多くを語らずに書の世界に意識を埋没させる行為の知的興奮を見事に表している。

というわけで、ロクに中身を見ずにタイトル書いした一冊となります。

鷲田小彌太氏の書評集

この本は1989年11月に出版された、著者が当時の様々な媒体で”注文を受けて”書いた書評を再録した物のようです。

ですが冒頭の1章では「読書の愉しみ」というように、この方がいかにして書物の世界を味わい尽くそうとしているのかをじっくりと語っていただいております。

冒頭にこのような興味深い、他人様の読書観が書かれていて、その後に実践編とも言える実際の書評記事が記載されているのです。

今となっては「書評」と言ったら、ブログなどの無料閲覧し放題の媒体が溢れておりますし、そのために玉石混交、当ブログも含めて質のあまり高いとは言えないものが大半です。

しかし当時(1989年)では未だ個人が文章を発信する機会はごく限られており、それだけに発信する側のクオリティ追求に至っては、今とは比べ物にならないほど高度なのではと思うのです。

さらに本書が貴重であり、私個人の読後感として非常に面白いと感じたのは、一般的な読書論や書評論、読書観のように一般化しようとしていないところです。

私自身、このブログを書こうとした時には、いかに広く読者を集めるか、という観点に縛られており、様々な他の方の書評ブログを読み漁りました。

そしてノウハウ的なものを取り入れたりしてみたのですが、そうしたテクニックは私の嗜好には合わなかったのです。

いつしか趣味で始めたブログも、元々好きだった読書すらも苦痛になり、一切本を読まない時期が半年ほどできてしまいました。

そういう経験を経たのちに、私は原点の「愉しむ」ということに立ち返りました。

それは極個人的な主観からのみ書き上げるもので、だれかに読んでもらうために迎合するのはやめようと思ったことが理由です。

そしてその「主観的」であり「極個人的」であるという姿勢こそ、私が求めている読書観であり、また本書の著者が体現している書評の書き方の姿勢なのだと感じました。

この方の主義主張は詳しくは存じ上げないのですが(これから他のご著書を読み進める中でわかってくると思います)、自分とは別の人間で、書評という文章を本に残すレベルで書かれているものと触れられたのは、まさに僥倖というべきものと言えます。

書評集への認識の変化

本書で紹介されている本自体はとても古く、テーマとしては昭和末期の社会主義への考察や天皇(制)への是非、そして脳死や家族論などと時代を感じるものがほとんどです。

そういった今となっては読み得ない(本書のように古本で偶然見つけることはあるにせよ)、まさに視点の拡張を実現するような体験、まさに「書物の戦場」に降り立ったような感想を抱くに至ったのでした。

Amazonで中古1円から販売されている本書、合理主義というか直接的な効果や利益がもたらされる薄っぺらい本が持て囃される現在、わざわざ探してまで読もうとは絶対に思われないであろう本書。

そんな本書のような、他者の視点から見た読書というある種の巨人の肩に乗って見る景色は、読書スキルともいうべき読み込みを深める基礎体力を鍛えるには最強のツールだなと感じるのです。

正直なところ、本書第2章をに入ったあたりから「ああ、この本はまとまった主義主張ではなくて様々な本の書評集なんだ」と、学びうる知識が雑多なものに成り下がるのでは?という残念な気持ちになったところはあります。

しかしそのまま読み進めていくと、昭和が終わり平成の世へと移り変わる時代の、その当時の人間の視点が生々しく感じられるのです。

著者は哲学教授とのことなのでやや難解な言い回しや、知ってて当然とされる前提知識のようなものが暗黙のうちの使われていて、都度わからない用語や出来事、時代背景を調べながらの読書でした。

そんな手間を掛ける必要があるのか?と思いましたが、そこはやはり書き物のプロフェッショナルなだけあり、難関ななりについページを繰ってしまう魔力がありました。難しいけれどどんどん読み進めたくなる、不思議な引力です。

そんな魔力に飲み込まれたのか、第2章では何度も寝落ちした本書なのですが、第3章に入って文章に慣れたあたりからは一気に読み進めることができ、楽しく読了と相成りました。

ついでに言えば、本書で紹介されていた『ジョゼフ・ニーダムの世界―名誉道士(タオイスト)の生と思想』をAmazonで見つけ出して注文してしまったのです。

こんな30年以上も前に書かれた書評記事の寄集本に影響されて、当時の本を探し出して買う人なんか普通はいないでしょうね。

でもこの人が書く書評は不思議と引き込まれてしまい、ついつい興味を惹かれて購入へと繋がってしまうのです。

そういう意味ではこの方の書評論は、現代の書評ブロガーにとっても学ぶところが大いにある一冊なのではないかと思うのです。

読書の”愉しみ”が深まる体験

この方の他の著作を調べてみたら、『大学教授になる方法 (PHP文庫)』『自分を高める表現の技術』というような興味深い本をお書きになっているようなのです。

中にはKindle Unlimited対象になっている電子書籍版もありますので、家の積読をある程度消化してきたら(消化する前に読むかも?)、きっと読み始めてしまうのであろうなあと思っています。

これまでこの方の著作に出会わなかったのが不思議なくらいに、本書の表現や読書観と言ったものが、私個人の嗜好に沁み込んでくる感覚を得ることになりました。

このような古本だからこその、好みや流行に流されがちな新刊めぐりでは味わいにくい、奇跡的な著者との出会いがあるから古本市や古本屋巡りはやめられないんですよね。

途中で読み進めるのをやめず、最後まで読んで本当に良かった。

本書を読み終えて、巷では「つまらないと感じたらそれ以上読むのは無駄、だから読まずに捨ててもいい」なんて暴論もあるようですが、それは先述したように「合理主義」「実利優先」のさもしい根性の現れではないかという思いを確たるものにしました。

そういう価値感ももちろんあって然るべきなのでしょうが、少なくとも私自身は人生を豊かにしていく読書を目指していきたいと切実に願うものですから、本書のようにすぐには役立たないけれど、視野が広く深くなるような読書を続けていきたいと思います。

それはつまり書評から稼ぐという道からは、どんどん離れていくことになりますが…。

小銭を追って自分の読みたくない本を読み、書きたくもない読まれるための書評を書くなんて真っ平御免ですなあ、と踏ん切りがついたようにも思うのでした。