食えなんだら食うな -今こそ禅を生活に活かせ- 関大徹 著 

宗教・思想・哲学

食えなんだら食うな -今こそ禅を生活に活かせ- 関大徹 著

内容紹介

曹洞宗大教師が語る人生の意味。
長らく復刻を望まれていた名著がオリジナルのままに復刊。
書店「読書のすすめ」店長・清水克衛氏、実業家で歌人として著作多数の執行草舟氏が推薦。
執行草舟氏の愛読書であり座右の書、本人曰く「俺は、この本が死ぬほど好きなんだ!」

-amazon「内容紹介」より引用-

食えなんだら食うな

「はだしの禅僧、関大徹が戻ってきた」−待望の復刊

本書は1978年に出版され、その後長らく絶版となっていた本です。

アマゾンで旧版の中古品が、2020年3月15日現在、5,487円と高騰しています(すでに復刊
したにも関わらず旧版はこの値段のまま)。

当時のまま復刊するほどに、この本には価値があった本ということでしょう。

 

今出版されても違和感がない

本書は明治36年生まれの著者が書いた本ですから、手に取る前は旧仮名遣いや
表現の言い回しが読みにくいのではないか、という懸念がありました。

ところが本書を読み始めると、つい最近出た本だと言われても違和感が感じられない文章で、
主張していることも、至極真っ当なことばかりでした。

むしろ復刊された2019年時点での社会情勢にとっては、まさにうってつけとも言える
煩悩を手放して、余計な苦しみから楽になるという姿勢が見えてきます。

時を超えてなお復刊することが望まれる本というだけあり、物事の真理をついている
のだろうという印象です。

 

著者について

関 大徹(せき・だいてつ)

明治36年福井県に生まれる。大正5年、師の関頑牛に就き得度。大正14年愛知県曹洞宗第3中学校卒業。この年より12年間福井県小浜市発心寺、富山市光厳寺にて禅修行に励む。昭和18年1月15日印可許状を受ける。昭和31年福井県吉田郡の曹洞宗の名刹吉峰寺住職。昭和51年岩手県盛岡市報恩寺住となり現在に至る。曹洞宗大教師。

この間、常に天衣無縫のはだしの禅僧に徹し、そのすぐれた行道は、現代まれに見る「生きた禅」として多くの人に感銘を与えている。

-本書カバー帯より引用-

経歴から察するに、とてもえらいお坊さんのようだという印象を受けます。人は権威や権力を
持つと、どうしても人間の弱い部分出てきて驕りが出てきます。
しかし著者はこのような本を書いて、後世にも熱烈に求められるほどですから、
そうはならなかったのでしょう。

本文を読み進めていくうちに、この著者がどうやって出版当時の境地にまで至ったのか、また
日常生活において禅の実践を心がけるとどうなっていくのか、自ずと答えが見えてきます。

 

本書の内容

目次 -ここに本書の真髄が現れている-

食えなんだら食うな
病なんて死ねば治る
無報酬ほど大きな儲けはない
ためにする禅なんて嘘だ
ガキは大いに叩いてやれ
社長は便所掃除をせよ
自殺するなんて威張るな
家事嫌いの女など叩き出せ
若者に未来などあるものか
犬のように食え
地震くらいで驚くな
死ねなんだら死ぬな

-本書「目次」より引用-

以上が本書の目次です。
一見するとかなり激しい言葉と受け取れるものも見受けられます。
ただしこれらの事は、多くの人が心の底では思っていることが多かったりします。

大っぴらに表明しては、色々と角が立つから、心の奥底にしまい込んでいるのです。

本書の著者は、そうした世間体を気にしたり、何か所有することなどに対しての執着、
そういったものを手放したら身軽になるよ、という意味合いの事を伝えようとして、
対話の相手によって手を替え品を替え、色々な表現をしているものと思えます。

 

「家事嫌いの女など叩き出せ」

今の世相ではこんな事、堂々と言えません。
しかし著者がいうのは、単に古い価値観の押し付け(女性は家事、男性は外で稼ぐ)を
肯定するものではありません。

ここでいう意味は、男性と女性ではそれぞれ役割があるということ。
まずはそれをしっかり果たし、そのあとに考えましょうということです。

当時だって女性で社会に出て活躍していた方はたくさんおられるでしょう。
現代では労働人口の現象に伴って働き手が大いに不足します。

女性にも社会に出てきてもらわないととても足りない、という身勝手な経済的視点からの、
むしろ今の方が無言の圧力で強制されているとも言えます。

そんな社会的な圧力に屈して苦しむよりも、それ以前の事をちゃんと考えてけじめをつけたら
悩むことではないんだということにも気づいていけるはずです。

著者はそのような形で各テーマの対象者に対し執着を手放すよう導いているように見えます。
現在に生きる禅の実践者、というのは、こういう人のことをいうのかと、
言葉は少ないながらに心の深いところに響いてくる本でした。

 

本書をオススメしたい人

上記のように本書は社会で生きる普く広い人に読んでもらうといい本です。

読まなくてもいい人というのは本当に著者レベルに達観した人くらいではと思います。

本書巻末の「解題」を執筆している執行草舟氏が「俺はこの本が死ぬほど好きなんだ!」と

いうほどに、苦しみに喘いでいる人ほど、早く本書をお読み頂くことをオススメします。

フッとその執着から解放される感覚(自分て手放すことができる)を得られる、

そんな本になっています。

 

本書から得られること

本書は「ためにする禅は嘘だ」とか「社長は便所掃除をせよ」などということが書いてあり、
これは見返りを期待してことを為すな、という戒めになります。

便所掃除の例では、これ見よがしに昼間から便所掃除なんかしてはいけない、誰も見てない
ところで、掃除したことすらわからないくらいにしなければならない。
つまり常に綺麗な状態を、それと気づかれずに維持しなければならないと説きます。

あらゆることはその行為の結果から何かを得るのではなく、その行為そのものが、自分に
とっての報酬である(=自分を磨き高められた経験)というものです。
だから敢えて書くとすれば、本書を読めたことが報酬であると言えます。

読後にふと、自分の為すことに対して思うことが浮かんでくる、そんな影響も及ぼす
とても深い本です。

 

書評まとめ

本書は「食えなんだら食うな」、つまり食うものがないなら食わなければ良い、という
まさに悟りの境地を現世に生きる私たちへ伝える本と言えます。

食えない!どうしよう!と心配になり色々対策を講じようともがくから苦しいわけで、
食べ物がないとか食べることができないなら、それは食べなければよろしい、
という事になります。

食べない、と決めてしまえば、食べられないことはそもそも問題になりません。
病気は死んだら治る、というものもそうです。

病気だ、死んだらどうしようと不安になるから苦しいわけで、
そもそも死ねば病気も関係ないや、とある種の開き直りというかその現状を受け入れる事に
よって、自らの精神の自由を確保することを説いています。

本書を読み、この考え方がしっかり理解できていたとしても、人間は危機に追い詰められると
どうしても視野が狭くなります。自分の健康や命が惜しくなります。

著者自身もがんだと診断され、それをただ静かに受け入れたはずなのに、
手術後にうまくいったことがわかった時「これは儲けた」という思いを持ったと言います。
これはこの世に対するこだわり、執着を持っていた事に気づいたエピソードとしてあります。

これほどの禅僧でもいざ自分の死を目の前にしたらこうなってしまうのだから、
禅の修行などしたこともない私たちにしたら、もはや言うまでもありません。

だからそんな時に、再び本書を紐解けるよう、手元に置いておくのがいいと思いました。

本書を手元に置いておき、この表紙が目に入った時に
「ああそうだった、今、生きている事に執着している」
など(言葉は各人違うと思いますが)、一旦精神をリセットさせる効果を期待できるのでは、
と思われるのです。

本書にはそのような、限界ギリギリのところで大いに役立つ要素が詰まっています。

 

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