まんがで読破 武士道 新渡戸稲造 著 

宗教・思想・哲学

武士道 ─まんがで読破─

新渡戸稲造の『武士道』

今の10代後半より年齢が上の人はきっとよく知っている、かつての五千円札の人が書いた、元々は英語で書かれた『武士道』です。

原著はもとより、日本語訳された岩波文庫版を昔読んだことはありますが、読む前の不安感が見事的中して、内容がさっぱりわからないという感想を持っていました。

それ以来、なんとなく『武士道』っぽいテイストの本を読んだり、『武士道』そのものを解説している他の本を読んだりして、なんとなく知ったような気になっていました。

さらには『葉隠』という、いわば武士道を体現しているといわれる書籍を手に取りましたが、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という最も有名な文章にまでたどり着くことなく挫折しました。

自分自身ではかなりの読書家だという自負があったにもかかわらず、日本人なら読んでいて当然という『武士道』『葉隠』というまさに精神的支柱と言っても過言ではない二書に対し、通読すらできなかったことは私自身の読書への熱意を減じるものとなりました。

そんな中、かなり苦手意識が強かった『武士道』ですが、ついに「まんがで読破」シリーズで読むことにしました。

この本もまた他のまんがで読破シリーズと同じように、原著を読まねば意味がない、という今となっては意味不明のこだわりのせいで、今まで読むことをしませんでした。

しかし今回、読んでよかったと心から思いました。

まんがという別形態のメディアに、いわゆる翻訳されたであろう武士道ですが、きっと原著もこんな感じに鳥肌が立つような内容なのだろうな、と勝手に想像するわけです。

日本語訳の原著を読んでいるはずなのに、まったく新しい書籍を読んでいるかのような新鮮な印象を受けたのと、まんがという形だから文字を正確に追うこともなく理解ができます。

前回の『破戒』もそうでしたが、出たらすぐにこの本を読めばよかったと思うほどに、すんなりと新渡戸稲造による武士道の考え方が理解できたように思います。

ただ、やはり歴史的な雰囲気というか、欧米列強諸国のキリスト教のような教義がカッチリした厳密な精神的支柱たる宗教がない日本で、その精神を形作る芯となる武士道の思想を伝えようとした凄みは、やや薄まっているのかなと勝手に解釈しました。

まんがにすることで今風の作品に見ることもできるので、やはり当時の日本が置かれた危機的状況に対する焦りというか、そういう行間からきっと滲み出てくるであろう雰囲気は、まんがからはあまり感じられませんでした。

そうは言っても、歴史的に重要な文献でもある本書がまんがになったことで、まんがなら読めるという私のような層にも古き良き日本人の精神的支柱を学ぶ機会が得られることは素晴らしいこと。

このようなまんがで読破シリーズをいままでみくびっていた分、このシリーズによって通読すら挫折していた名作たちにも、再度取り組んでいきたいと思うようになりました。

〈まんが⇄原書〉で理解が深まる?

今回このまんが版を読んで思ったのは『武士道』の全体像がざっくりと掴めたかな、という印象です。

本書では忠臣蔵のエピソードが記載されていますが、これは日本人による日本的な価値観で眺めた時には、主君への「忠」や「義」の話として理解できますが、それを欧米諸国向けにどのように説明しようとしたのかなど、細かいところが気になってきてしまいます。

いったん全体像が把握できれば、多少難解な文章表現が出てきても「ああ、この箇所はきっとこんな感じだろう」と予測して補完できるであろうと思うのです。

そんな感じで、細かいところをじっくり味わうというか、やや厳密に新渡戸稲造が表現した『武士道』の生の表現やニュアンスに近づきたいなあという欲求がじわじわと湧いてくるのを感じました。

とはいえ、今この武士道の考え方の主流ではない細かい部分の解釈を知ったところで私の人生にはおそらくあまり影響がないと思われるので、本当に時間が余ってやることがないとか、本気で武士道の研究をするかでないと読まないだろうな…と思うのでした。

そういうのはやはり専門家が書いた書籍や、また別のテーマで武士道を取り上げている類書を読む時のついでとかに深堀りする感じになりそうです。

シンプルそうに見える思想ですが、深いところまで追求しようとするとドツボにハマりそうな感じがするので、このまんがで読破レベルの理解で止めておくのが私のような ”にわか” には正解なのでしょうね。

 

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